Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ナイルの海戦
8月2日は、ジャック・オーブリーも参戦したことになっている「ナイルの海戦」の日。
ナイルとはエジプトのナイル川のこと。この海戦、正確にはナイル河口の街アレキサンドリアから14km東のアブキール湾で1798年8月2日に闘われました。
ネルソン提督を語る時に欠くことのできない海戦は四つ(サン・ビサンテ、ナイル、コペンハーゲン、トラファルガー)ありますが、ナイルの海戦はこの二番目のもので彼の名声を決定的にした海戦です。
エジプトとマルタを手中におさめインドとイギリスを結ぶルートを遮断しようと考えたナポレオンは、1798年5月、ブリュイ提督のフランス艦隊と5万の陸軍部隊を率いて海路エジプトに向かった。
これを阻止すべく出帆したネルソン率いるイギリス艦隊は当初、フランスの狙いが何処かわからず(両シチリア王国が攻撃される可能性が高いと考えられていた)、水平線の彼方に消えたフランス船団を、地中海中探し回ったが、行違いから発見できず、ナポレオンのエジプト上陸を許してしまった。
上陸したフランス軍は7月1日にアレクサンドリアを陥落させ、さらにカイロに侵攻。 この間、フランス艦隊はナイル川の河口アブキール湾に停泊していた。指揮官のブリュイ提督はイギリス艦隊の来襲を危惧していたが、ナポレオンは艦隊がナイル河口を離れることを許さなかった。 そこへイギリス艦隊が襲いかかったのである。
イギリスはこの海戦に圧倒的な勝利をおさめ、艦船を失ったフランスは、エジプトからの脱出手段を失った。 当時エジプトを支配下に置いていたオスマン・トルコ帝国は、10月、フランスに宣戦布告、翌年2月、両軍はシリアで衝突した。
ここに至りナポレオンはエジプト脱出を決意、1799年8月、軍を捨て側近だけを連れて小型艦で封鎖を突破しフランスに帰国した。 取り残されたフランス軍は2年後、完全にエジプトから追放された。
以上が、ナイルの海戦というよりは、ナポレオンのエジプト遠征の概要です。
余談ながらこの時、オスマン・トルコ軍支援に派遣されたイギリス軍を指揮していたのが、サー・シドニー・スミス提督、先日発売されたばかりのオーブリー4巻に登場するクロンファート郷は、当時このサー・シドニーの指揮下にあったという設定です。もっとも、サー・シドニーが本当にユニコーンの角を手に入れたか定かではありません。
でもここは海洋小説のHPですから、史実は横において、恒例の「この時、あの人は何処に」ナイル海戦編に行きたいと思います。
この海戦に、外縁部で関わっていたのは、同時期に同様の命令を受け、やはり地中海でフランス艦隊を探しまわっていたアレクサンダー・ケントの主人公リチャード・ボライソー(11巻「白昼の近接戦」)と、スエズ地峡の反対側(この時代まだスエズ運河はありません)の紅海にいた、リチャード・ウッドマンの主人公ナサニエル・ドリンクウォーター(3巻「紅海の決戦」)。
ニコラス・ラミジはトライトン号でカリブ海にいましたし、ホーンブロワーはまだスペインの捕虜でした(DVDボックス3巻参照)。
実際に海戦に参加していた設定になっているのは、リアンダー号の海尉だったジャック・オーブリーと、後にリチャード・ボライソーの旗艦艦長になるジェイムズ・タイアック、さらにその指揮下に入るロバート・クリスティ(後にフリゲート艦ハルシオン号艦長)、この二人が乗り組んでいたことになっていたのがマジェスティック号です。
ジャック・オーブリーは、戦列艦リアンダー号の二等海尉としてナイルの海戦に参加した設定になっており、映画での正装時に首から下げている勲章は「ナイル・メダル」、すなわちナイル海戦戦功賞です。 リアンダー号は搭載砲50門の小型戦列艦で、ナイルの海戦では(戦列艦としては)小まわりの利くその特性を活かし、僚艦の援助に活躍しました。 ただし、オブライアンの小説は1800年から始まるため、リアンダー号時代のジャックの話は、映画の中で彼が語るネルソン提督の思い出同様、すべて回想として語られるのみ。
ナイルの海戦でのネルソン提督の旗艦はヴァンガード号なので、この時ジャックは提督の艦に勤務していたわけではありません。 ジャックとプリングスが共に提督の艦に勤務していたのは、アガメムノン号時代(1793-95年)らしいという推測は、以前にも一度このHPに乗せたと思うのですが、実はプリングスがアガメムノン号でジャックと一緒だったというのは、映画のみで出てきた設定のようです。 そしてもう一つ、映画だけの設定の可能性があるのが、プリングスがボタンホールに飾っていた小さな勲章です。
あの勲章がナイルメダルだとすれば、プリングスもナイルの海戦にかかわっていたことになるのですが…。 これはいったいどういう設定なのか? こういうマニアなことを調べるには、ネット上でオブライアン・マニアの会する英文フォーラム「Gun Room」しか無いのですが、ざっと調べたところでは、欧米のマニアの知恵をもってしても、この謎は解けないようです。 ましてやジャックと一緒だったかどうかは…、 ウィアー監督か脚本のコーリー氏に、この謎を是非お伺いしてみたいものです。
ところで、ナイルの海戦をめぐる海尉と候補生の物語と言えば、やはりタイアックとクリスティでしょう。 ジェイムズ・タイアックは、ボライソー・シリーズの主人公リチャード・ボライソー提督の最後の旗艦艦長、彼には「半顔の悪魔」という異名があります。 彼はこのナイルの海戦で大やけどを負い、顔の右半分が無惨に焼けただれてしまった。無傷に残った左半分はもとの端正な面立ちを残しており、…ゆえに「半顔の悪魔」と呼ばれるのです。
マジェスティック号は、ナイルの海戦に参戦した英国艦の中では最も損傷の激しかった艦で、艦長以下多数の死傷者を出していました。ロバート・クリスティは候補生となって二ヶ月目にこの地獄絵に遭遇、恐怖のあまり我を忘れそうになった時に、下層砲列甲板を指揮していた海尉タイアックが、怯えきっていた候補生の肩をゆさぶって、クリスティにとっては一生忘れられない言葉をかけてくれたのです。
…このシーンの独特の雰囲気は、もう何としても、私の言葉では紹介しきれるものではないので、是非ケント氏の文でお読みください。…こういうシーンの静かなドラマが、アレクサンダー・ケントは本当に見事だと思うので。24巻「提督ボライソーの最期」(ハヤカワNV969)6章P.154〜157です。
実を言えば、ジャックとタイアック、クリスティ以外にもナイルの海戦に参戦していた海洋小説の主人公がいます。それも実は最初から最後までをほとんどの特等席の目撃者として過ごした人物が。 ロバート・チャロナーの主人公、チャールズ・オークショット艦長、小説のタイトルは「ナイルの密約」(ハヤカワNV444)。
ロバート・チャロナーの小説は、海洋小説というよりむしろ時代小説なのだろうと私は思っています。 艦長を主人公と設定しているものの、作者が書きたかったのは海洋冒険よりむしろ当時の歴史冒険小説で、一つの艦に視点がとどままらず、当時の地中海全体の動き(両シチリア王国をめぐるイギリスとフランスの駆け引きなど)が俯瞰できます。 主人公はヘテロクロミア(金銀妖眼と書かないのは、青と茶の妖眼だから)の貧乏侯爵家の次男坊だし、謎の密使とか、暗殺者の美女とか、ナポリ大使サー・ウィリアム・ハミルトンにエマ夫人もご登場。胸踊る設定がてんこ盛りで、フォレスターやオブライアンやケントに比べたら、読み口は軽いですし、以前に海洋小説入門をとりあげた時に、出来ることならご紹介したかった作品でした。 …なぜご紹介できなかったかというと、この本、絶版になってしまっているのです。作者のチャロナー氏も亡くなられた今、原書も入手しにくい状態に。 もし、古本屋さんなどで見かけられましたら、迷わず手にとりレジに持っていかれることをおすすめします。
今回の参考資料は、ほとんどこの一冊でした。 「ナイルの海戦」 原書房 2000年6月初版 著者:ローラ・フォアマン、エレン・ブルー・フィリップス
この本は、1998年、ナイルの海戦から200年目にアブキール湾で行われた大規模な発掘調査、海底に沈んだフランス艦の発掘調査の結果を踏まえて書かれたドキュメンリーです。 この発掘調査は、TBSの「世界ふしぎ発見」にも採り上げられて、ネルソン提督とナイルの海戦をテーマにした回が放映されたりもしました。
ナイルの海戦を決したのは、フランス艦オリアン号の炎上、爆発、沈没でした。 フランス軍の旗艦、最強の戦列艦と言われた124門の一等級艦オリアン号は火災が火薬庫に引火して大爆発を起こし、完全に消滅してしまいました。1000人と言われるオリアン号の乗員のうち、生き残ったのはわずかに60人。 「この大爆発の後、もっと不気味なものが戦場に訪れた。それは沈黙であった」と、「ナイルの海戦」の著者フォアマンとフィリップス記しています。 その場にいた人間すべてが、フランス、イギリスを問わず、破壊の巨大さに衝撃を受け、金縛りにあってしまった。 すべての砲撃が止んだ時間は10分とも30分とも1時間とも言われています。 「オリアン号の爆発」は、当時のヨーロッパに衝撃を与え、この事件は海戦の定義を変えたと言われると同時に、当時の数多くの絵画に描かれました。
今、この本を読み返し、オリアン号のくだりを読んで、思い起こされてしまうのは9.11。 この世にあってはならない巨大な破壊を前に、声を失った人々。 ナイルの海戦の死傷者数は、英仏あわせて6000人とも言われています。
2004年08月02日(月)
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