今日は紺碧の南太平洋をもとめて、アウターリーフ・1日クルーズへ。選んだのはオーシャン・スピリット社のミコマス・ケイ・クルーズ。船がカタマラン・ヨットで、一部でも帆走してくれるクルーズはこのオーシャン・スピリットだけ…と日本で仕入れた情報にはあったので、このクルーズに目をつけていたのでした。現地で探してみると、もう少し安いヨット・クルーズ、パッション・オブ・パラダイスというツァーもありましたが、こちらは行き先が手前のグリーン島。ミコマスケイの方がもう少し沖まで行けることもあり、少し贅沢してこちらに決めました。ケアンズの観光客向けヨット・クルーズ◆オーシャン・スピリット・クルーズ 料金:155豪ドル(12,400円)、日本人スタッフ1名乗船 Ocean Spirt◆パッション・オブ・パラダイス・クルーズ 料金:89豪ドル(7,120円)、英語のみ Passions of Paradiceこのほか、ヨットであることにこだわらなければ、完全日本語対応のツァークルーズはいろいろあります。が、日本語対応のツァーはすべて170豪ドルを超えてしまいます。これは日本語対応だからなのか、それとも風の力を借りない分だけ燃料代が20ドル余計にかかる…なんてことではありませんね、たぶん。朝7時50分ピックアップ、出航8時半。ミコマスケイはグレートバリア・リーフの自然保護区内にあるので、乗船時に外国人でもリーフ・タックス(珊瑚礁入場特別税)4.5ドルを支払います。乗船するとまずは紅茶とクッキーのサービス。紅茶というところがさすが英連邦諸国です。このツァーは原則、案内は英語ですが、各国からの乗客に対応して、南米(メキシコ)人や、日本人スタッフも1人ずつ乗船しています。この船では帰航時に、その日の乗船客の国旗を満艦飾のように掲げてくれますが、この日は21カ国でした。オーストラリア、ニュージーランドなど地元大洋州、アメリカ、カナダの北米大陸、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチンなどの中南米諸国、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどのアジア、イギリスなどヨーロッパ諸国、タンザニア、ケニアなどアフリカからも。オーストラリアの地理的な位置を考えると納得ですが、ここまでインターナショナルな顔ぶれというのも珍しい。乗客の年齢層はかなり高く…というか、時期が時期(ホリデーではない平日)だけに、リタイア後のおじいさまおばあさま多数…このかたがたが大変お元気。白人(とくにアメリカ人)はお年を召されても全く気にせず派手なTシャツに短パン、体型を全く気にせずおばあさまでもビギニなのですが、このクルーズ船も同様で、ぱっぱとTシャツを脱いで太鼓腹を日陰のデッキチェアに並べるおじいさま、おばあさまがた。本当に楽しそう。こういうところ、日本の引きこもりがちな老人はもっと見習わなければならないと思うのですけれどもね。出航後まもなく、本日のクルーズの説明(英語)が始まります。日本人には日本人スタッフから別途日本語で説明がありますが、ここでのアドバイスは、この日本語説明では英語だけのオプショナル・アクティビティの説明がはぶかれてしまうので、それについても質問すること、です。これはケアンズ観光全般について言えることですが、日本人観光客の多いケアンズは日本語対応が充実していて、英語が全くわからなくても不自由しません。がその反面、日本人は日本語の通じるエリアだけに囲い込まれてしまい、多くの観光チャンスを逃してしまうことにもなります。せっかく同じ外国人と同じ値段を払って乗船しているのですから、追加料金なしのオプショナル・アクティビティは楽しまなくちゃ損!です。クルーズの説明の後は、グレート・バリア・リーフの成り立ちと自然についてのスライド・ショー、これは英語のみの説明ですが、昨日からにわか自然観察者になっている私にはたいへんためになるプログラムでした。面白かったのは、いろいろな魚が出てくるたびに解説者が「これは映画ファンディング・ニモのあの○×、あれはニモの△○」と紹介してくれることで、あぁ映画を先に見ていたらもっと楽しめたのに」スライドショーを見終わって、ふたたび甲板にもどると、あら? 海の色がすっかり変わっています。これはあの、BBCの復元船エンデバー号のドキュメンタリーで見たあの南太平洋の青!やった! ついに念願の海の青にご対面!でもよく見ると左舷の遠くはまた海の色が異なっていて、そちらは見たこともない薄緑です。どうも、水深によって海の色が全く異なるようなのですね。…ということが何故すぐにわかるかというと、ダドリ・ポープのラジミ・シリーズで、ラミジがカリブ海の海図のない海域に乗り入れる時に、腕っこきの部下をマストのてっぺんに上げて、前方の海の色を報告させて水深を知り、座礁しないように進路を選んだ…というシーンを思い出すからです。ああ、あれってこういうことなのね…と納得しました。本当に海の色が全く違うんですよ。マストのてっぺんから見たら、きっと海がまだら模様に見えるんじゃないかと思います。【全く異なる海の色】このクルーズ船の操舵室(というかこの船の大きさだと船橋というのかもしれませんが)の入口のところには、乗客も見られるとようにこの海域の海図が張り出されています。これを見ると、さっきの海の色の違いと水深の関係が確認できると思います…思いますというのは、現在位置が海図上のどこか私がわかっていないので、海図の何処を見たら良いのかわからない…という問題があるからなんですが。おそらくこの船にはGPSがついていると思われるので、操舵者は現在位置(緯度経度)を完全に把握しているでしょうが、天測で緯度経度を測っていた昔は、海図があっても本当に大変だったでしょうね。これが山だったら、山道の曲がり具合とか尾根線の方位とかで比較的簡単に現在位置がわかるのですが、見渡す限り水平線では手がかりになるものが全くありませんし。まぁ本当の大海原に出てしまえば、見渡す限り水平線でも水深があるから問題ないのでしょうけれど、100km沖まで浅瀬が続くグレート・バリア・リーフの場合は本当に大変。キャプテン・クックの時代、ここが船乗りにとって恐怖の海域だった…という理由はわかるような気がします。BBCのドキュメンタリーなどによれば、クックは当初、バリアリーフの沖を迂回航海したかったのだが、当時はオーストラリアが大陸なのか島なのかが確認されていなかったため、これを見極めるために沿岸沿いを航海せざるをえなかったとのこと。実際クックはケアンズから200kmほど北の地点でついに座礁し、船体修理のため上陸せざるをえなくなります。この上陸地が現在クック・タウンと呼ばれているところだそうです。またクック来航の15年後の1792年にはここから600kmほど北の海域でパンドラ号というイギリスのフリゲート艦が座礁、沈没しています。さてクルーズ船は3時間の航海の後、目的地であるミコマス・ケイに到着しました。ケイとは岩礁や小島という意味で、波で削られたサンゴが砂になって堆積し出来た島です。長さ300m、幅60m、現在も年に1メートルずつ北に移動しているそうです。ここは鳥の楽園、多い時期には約3万羽の野鳥が生息し、1975年に国定公園に指定されました。今、人間サマは島を訪れることは出来ますが、上陸を許されるのはロープで区切られた浜辺のみ。島の大部分は鳥の保護区となっています。【ロープに囲われた人間サマ】【ロープの向こうは鳥の楽園】小さな島です。反対側の海がここから見えてしまう。思うに、オブライアンの原作3巻(上)でスティーブンが鳥を見に行ってとり残された岩礁ってこんな感じのところではないでしょうか? 彼はカツオドリとアジサシを見た…とありますが、このミコマスケイもアジサシの天国。私は見られませんでしたが、カツオドリもいるそうです。クルーズ船には「ミコマスケイの鳥たち」というパンフレットが各国語で常備されているのですが、この日本語版は英語版より凝っていて秀逸です。Junさんという方のイラストでchiemomoさんと方が編集されています。このパンフレットから、スティーブンが見たというカツオドリとアジサシ、あと私が見た鳥たちのイラストだけ使わせていただきます。本来は一応chiemomoさんにお断りしてからupすべきものですが、ご連絡先がわかりません。…というわけなので皆さま>、この画像をこのHPから更に転用することは一応お避けください。またこの画像使用に差し障りがありましたら、左下の「郵便船」のところから私に連絡可能ですので、お知らせください。スティーブンはこの島に3日間とり残されて飲み水がなくなり、あやうく日干しになるところでしたね。これって実際、相当つらかったと思います。ここは岩礁ですから木や丈の高い草はありません。つまり強烈な日差しを避ける日陰がないってこと。南緯17度の日差しは暴力的、当たっているだけで突き刺すようです。このクルーズ船でも「日焼けに注意!」は最初に注意事項として警告されます。また日焼けしないように肌を覆うスーツの貸し出しもあります。前述の難破船パンドラ号の乗組員は、艦の沈没後、岩礁に上陸したものの、日陰を作る草木のない島で強烈な日差しに耐えかねて、日中は体を砂に埋めて苛烈な日光を防いだそうです。ちょっと考えると…ぞぞっ!アレクサンダー・ケントのボライソー7巻「反逆の南太平洋」に、この同じ海域を漂流するエピソードがえがかれます。物語の舞台はここより東のフィジー諸島ですが、緯度はほぼ同じ。この海域を日差しをさえぎるもののない無蓋ボートで、500マイル(800km)航海するのです。最後には彼らは夜明けを恐れるようになるんですよね、太陽が昇った後に味わう日焼けと暑熱の苦しみを恐れて。これは小説の上だけの話ではありません。バウンティ号のブライもパンドラ号のエドワーズ以下乗組員たちも、この同じ海域で漂流し生還しています。実際にこの日差しを浴びてみると、この苦難の中で希望と冷静さを失わなかった彼らの強靱な精神力に、頭が下がります。「青い地図」というキャプテン・クックの航跡を尋ねた旅行記が今月(2004年1月)の新刊で発売されました。著者はアメリカ人のジャーナリスト、トニー・ホルヴィッツ氏。氏はクックの復元船エンデバー号で体験航海を経験し、当時の船乗りたちの苦難を想像します。粗末な食事と重労働、耐えざる危険、寒風、嵐、南国の暑熱。冷暖房完備、雨風をしのげる住まいとゴアテックスの雨具、レトルトやインスタントの食品で快適な生活を知った現代人には、こんな生活は耐えられないでしょう…彼らにとっては当たり前だが我々にとっては過酷な日々。考えてみれば基本、というか苦痛を感じるレベルが違うんですよね。そんな毎日に鍛えられた18世紀19世紀の船乗りたちであったからこそ、無蓋ボートでの漂流も可能だったのかもしれません。さて話し戻って。ミコマスケイ・クルーズのタイムテーブルは8時半出航、11時にミコマスケイに到着、14時半まで3時間半の現地滞在、帰りは14時半に出航して18時にケアンズ帰航(予定)です。ミコマスケイではクルーズ船は沖に停泊。喫水の浅いランチが浜辺と船を往復して乗客を運びます。3時間半の滞在の間に、体験ダイビング、潜水艇クルーズ、ガイド付きシュノーケリング、ガイド付きバードウォッチングなどいくつかのアクティビティが用意されていますが、日本語対応なのは体験ダイビングのみ。あとは英語対応です。お昼はクルーズ船のダイニングにて、豪華なビュッフェスタイル。お味は…ケアンズでは特筆もの、日本レベルでは普通。いやその、ケアンズって元英国植民地の港町だからね…っていうのは偏見かもしれませんが、基本的に西洋料理にはあまり期待できません。ベトナム料理とか中華とかタイ、インド料理…なんてところはおすすめですが。あとでこの話しを聞いた父が一言。「そうか、ではもし行くとしたらタヒチかニューカレドニアだな」そのココロは、旧フランス植民地だから食事が美味いだろう。やれやれ…。でもケアンズ、さすが海の幸は豪華です。日本のスーパーでよく「オーストラリア産有頭エビ」として売っている15センチくらいのエビは食べ放題。そうそう、昨日のお昼のベトナム海鮮フォー(お米のうどん)には、エビ3匹と、タコ(日本で言うところのイイダコ・サイズ)3匹がどんっ!と入っていて感激しました。でもここの西洋人は丸ごとのまんまのタコ、平気なんだろうか。さて、クルーズ船でのアクティビティ。私のチョイスはお昼前に潜水艇クルーズ、午後に岩礁でバード・ウォッチング・ツァー。新婚さんらしい日本人カップルに人気なのは、体験ダイビング。キョウコさんと言う日本人のダイビングインストラクターが指導してくださいます。ここの体験ダイビングって年齢制限ないのかしら?(サイパンは60才以上はダメなんですよ)おじいさまやおばあさまのダイビング参加も多かったけど。潜水艇クルーズは全面ガラス張りの船で珊瑚礁をまわってくれるというもの。私は進行方向右(右舷側)の席に座ってしまったのですが、おすすめは左(左舷側)。たとえダイビングができなくても、グレートバリアリーフの海中がお手軽に楽しめます。船首部にガイドが、船尾に艇長さんがいるのですが、ガイドさんは「左手にエイが泳いでいます」とか言うわけです。ところがその説明の最中に艇長さんが突然「スターボード(右舷)! タートル!」と叫びました。すわっとカメラを構えて、こいつ〜オートフォーカスだからピント合うまでに2秒ほどかかるのよ…シャッターを切った時には撮れたのはウミガメのおしりのみ。でも撮れてよかった。ガイドさんが「右手(ライトサイド)にウミガメ」と言ってからカメラをまわしていたら間に合わなかったわ。海洋小説を英語で読んでいた恩恵がこんなところに。クルーズ船のスタッフには、操船担当の船乗りと、ガイドやダインビング・インストラクターなどの客室乗務員がいるわけですが、当たり前かもしれないけど使う用語が違いますね。乗務員は普通の人向けの英語で案内する。でもバウ(船首)とスターン(船尾)は普通に使われていたから、これは専門用語ではないのかな?午後からは岩礁に上陸して、いよいよバード・ウォッチング・ツァー。長くなりましたので、これから先は明日づけの日記につづく…。