umityanの日記
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2016年05月02日(月) 母の思い出が涙を誘う。

連休の谷間で、今日は仕事をしている人も多いことだろう。ご苦労様です。僕はといえば、毎日が休みで、毎日が仕事みたいなもの。まああ、自営業とはそういうものかもしれない。これで、おまんまが食えれば、幸いだ。

今日はすこぶるよい天気だった。青空が広がり、心地よい暑さだった。どこかへ、「ぶらり」と、出かけたい衝動に駆られたが、いかんせん、ここ数日のハードな行事の疲れが出てきた。ソファーに横たわり、居眠りをしてしまった。うとうとした頭によぎるのは、あの地震の恐怖である。寝ている間に襲われたら、どう対処するか?。そのことばかりが脳裏を駆け巡った。

数十分後、重たい体を起こした。どこにも行かず、パソコンのスイッチをオンにした。まず最初にすること。メールの確認だ。毎日、数十件のメールを受信する。ほとんどが宣伝用の情報ばかり。時々、「ほおーーつ、そうなんだ」と、指を止めて内容を確認するものもあるが、大概は、タイトルを見て、ゴミ箱へ直行。ゴミ箱がたまると、一括消去だ。考えてみると、日常の生活パターンと、ちっとも変わらない。

いつぞや、テレビで、ある住人の、「ゴミ屋敷」の風景を放映していたが、いやいや、人ごとではない。ゴミも財産と思えば数日で、家の中は足の踏み場もなくなる。豊かな社会は豊かな「ごみ」を生み出した。その「ごみ」だって、まだ利用できそうな物もたくさんあるだろう。

一世代昔の父・母は、たとえ利用しなくても、「ごみ」と、やわら判別つき難ものを処分することに、大いなるためらいを感じていたようだ。「もったいない」。これが口癖だった。それもそうだろう。今の時代みたいに物が豊富になかったからだ。母亡き後、箪笥の引き出しや、物置を整理すると、懐かしいものがたくさん出てきた。もう、記憶にない子供時代の玩具や洋服、通信簿まで出てきた。涙を禁じ得ない。改めて、母の母たる所以、偉大さを感じた。もう、そろそろ「母の日」か。母のことが懐かしく思い出される。僕も母と同じ性分なのだろう。捨てられないものが山とある。うんんんんーー、これではいけない。

そこで、今日は、ポリ袋数個に「ごみ」と称する物品を詰め込んで、空き地に運んだ。上空ではカラスが「何か獲物でもあるかしら」と、電線の上から、その光景に目をやっていた。食べ物ならカラスが食べてもよいが、彼らは実に行儀が悪い。袋を引き裂き、あちこちに物を散乱させる」。行儀が良ければ歓迎してやるのに、この態度には腹が立つ。

ごみを処分しながら、青空を見上げ、ねずみ男君と先日、「かあーーーちゃーーーーん」と叫びながら、スナックで歌った、山口百恵さんの「コスモス」という曲を思い出した。


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