umityanの日記
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2001年07月01日(日) うちわは省エネになります。

梅雨のあとは38度の猛暑。昔もこんなに暑かったっけ。ちょっと歩くと、もう汗だくだく。こんな時、どこかのビルに飛び込めば天国だ。ただで涼がとれる。いやああ、文明の利器様。感謝、感謝。昨今、家庭でもクーラーは各部屋に一台の時代。テレビと同じだ。豊かになったものだ。思えば小さいころは、天然の風に、うちわと扇風機で涼をとるのが関の山。それが今では扇風機もうちわも過去の遺物となりかけている。なんか寂しいような・・・・・。実は僕のベッドの棚にはちゃんと、お祭りと描かれたうちわが一本あるのである。時々使っている。うちわと言えば、昔はどこかのお店で買い物をすると、景品と言うか粗品というか、その店の宣伝が書き込まれたうちわをもらったことを覚えている。母と買い物に行くのが楽しみだった。店のおじさん、おばさんはたいてい、母ではなく子供の僕にうちわとか、粗品をくれたからだ。母は外を歩くとき日傘をさし、はなたれ小僧の僕は、ランニングシャツに半ズボン。そして右手にうちわを持って扇ぎながら母の後からついて行った。
うちわって、単に扇ぐだけではなく以外と重宝な道具である。よくよく観察してみると、暑い夕暮れ時のご婦人方の会話にはうちわがつきもの。笑いながら、顔の半分を隠すには、うちわってもってこいである。うちわの裏で、まっつ白い歯が「にーーーっつ」と笑っている。なんか、いやな印象である。蚊がいると、うちわでぽんぽんと払いのけている。また、「やーーね」と言いながら、相手の肩をうちわで「ぽん」。どこかの坊さんが仏壇にむかって「むにゃむにゃ」と経を読んでいるとき、母が後ろからうちわで扇いでいた。「へえええ、坊さんって、むにゃむにゃ言うだけでも偉いのだなああ」と、あらためて感心した。あんまり接近して聞いておられると坊さんも経の手が抜けないなあと、変なことを考えてしまった。そうそう、うちわの苦い思い出は、じいさんが生きていたころ、いたずらすると、うちわの取っ手のほうで頭を「かつううーーん」とやられたことである。これが痛いのってなんの。そのじいさんは、とっくの昔に死んだが、うちわの思い出はまだ、僕の心の中に生きている。もっとうちわを利用して省エネに一役買おうではありませんか。


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