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◆ 都会志向だった・ 「東京の印象」2003年10月21日(火)
今日は書くような事がなかったので、好評連載中(?)の「都会志向だった」の3回目でも書くことにしましょう。前回分は、10月2日付になります。今日は、「東京」について。新潟に住んでいたワタシとしては、「都会」は、なんと言っても「東京」でした。新幹線で90分。今ではそんなに遠くない気もする新潟と東京ですが、当時ははるか遠くに感じたものでした。
さて、まずは「東京」の定義を書かなくてはなりません。新潟県人は、「東京」といいますと、埼玉や、神奈川、下手をすると群馬の高崎あたりまで、「東京」の範囲に入ってしまうといわれます。高崎はともかく、大宮とかだったら、ワタシも感覚的には、東京だよなあ。実際、高崎あたりも、東京の通勤圏だったりしますから、この定義も、あながち間違いではないのかもしれません。
そんな意味で、若干アバウトな定義の東京ですが、中学校卒業くらいまでで、ワタシが東京に行った回数は、おそらく2回。それと、車で通過したのが1回あったと思います。これって、他の人と比べてどうだったんだろう。当時の印象としては、もっと多く行っていそうな人って、いた気がしてましたが。実際はどうだったんでしょうね。
で、一口に東京といいましても、けっこう広いはずなんですが、当時ワタシが行った地域には、偏りがありまして、圧倒的に上野周辺が多かった。アメ横だとか、上野動物園だとか。北国の人間は、東京の玄関口は上野になるといいますが、それは、上野が北へ向かう列車のターミナル駅だったから。新幹線も、当時は上野が始発でした。それで、父親(ワタシや弟はまだ子どもなので、父親に引っ張っていかれるだけ)は、上野中心に回っていたのでしょう。
ありゃりゃ。まだ、ほとんど何も書いていないのに、ずいぶん行数が多いですねえ。それだけ、東京への思い入れが強かった、ということでしょうか。今日の分はこれくらいにして、続きはまた後で書くことにしましょうか。
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