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日記
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2003年09月21日(日) : ドラマ 『すいか』 最終回

馬場ちゃんの視線でうつしだされた、ハピネス三茶の風景が、ひとつひとついとしい。

掃除機の音、カメの水槽、知恵の輪、風車、日差しがさんさんとふりそそぐ台所、朝ご飯の小皿に残った梅干の種。

基子の部屋のいまどきめずらしい足踏みミシンの上に飾られた写真盾。空き缶の中の絵葉書。窓際にかけられた制服。いたるところにあふれる緑の草花。

教授の爆弾発言の後に、基子と絆さんが部屋にもどる場面でさえ、最終回だと思うともったいなくて、リピートしてしまった。食堂から出て、廊下を歩き、玄関をとおり、階段を上る。なんてこまやかなセットなんだろう。

そして、なんてこまやかな脚本なんだろう。無駄と思えるモノタチが、みごとに重要な意味をもってくる。ミッシェルの目玉、急いで出かけようとしたときの買い物メモ、恭一くんの駅で別れるときの言葉。

河原の場面で、馬場ちゃんが語る普通の生活の魅力=たったの3億円で失ってしまった大切なもの。そのとき描かれたハピネス三茶の情景のひとつひとつが、実はこのドラマの魅力の中心だった気がする。つつましくも、あったかい、やさしい日常。

馬場ちゃんは、そんな日常を失ってしまった多くの私たちのような現代人の象徴だったのかもしれない。忙しさにかまけてなくしてしまった日常への渇望が、このドラマに惹かれる理由だったのかも…。

でも、その日常への憧憬だけでは終わらないところに、このドラマの醍醐味がある。

けっして居なくならないと思っていたハピネス三茶の重鎮=教授の旅立ちである。かっこいいな、教授。遅すぎることなんてないのよ、私たちにはなんでもできるのだから。教授が言うからこそ、重みもあり、勇気付けられる。花道でよろめいてちゃだめよね、しっかり歩いて行かなくちゃ!

日常を大切にして、変わらないと思い込みすぎて、固執すると、いつかはとても窮屈になり、色あせて価値を失ってしまう。変わらずにいるなんてことはできないのだから。くしくも基子親子がそれを象徴している。

ぜったい変わらないものなんてこの世にはないんだ。北斗七星さえも形を変えてしまうのだから。だからこそ、前を向いて歩いて行かなけりゃならない。

なんだか、もうこのあと新しいことなんて起こらないと諦めている私たちへの、かぎりない応援ドラマに思えた。ほんとうに、これは人生半ば過ぎた私のような女性へのエネルギー満載のドラマだったなあ。

最後の馬場ちゃんと基子さんのひとこと
>>>また似たような一日がはじまるんだね〜
>>>似たような一日だけれど全然違う一日だよ

たくさん元気をもらいました、『すいか』のスタッフの皆様、どうもありがとう!



追伸
以下は深読みしすぎると笑ってやってください。

人と上手に心を通わせることができなかった絆さん。通り魔の男の子に、“ナイフで刺すのではなく、抱きしめなさい”と言ったのは、絆さん自身への言葉なのではなかろうか。そして、絆さんが抱きしめたかったのは、実は恭一さんなのではなかろうか…。駅で絆さんが言えなかったこと、きっと恭一くんには伝わったと思います。たとえ、伝わっていなかったとしても、いつかは伝わると思います。ラブシーンをまったく入れなくても、これだけ細やかな表現ができるんだなあ、感動です。

木皿泉さん恐るべし。次回作も楽しみにしています。


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