日記
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2003年08月18日(月) |
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働きつづけることがしんどいこの頃です |
きのうの日記をみて、ただいま赤面しているところでございまする。
興奮したまま、ねぼけまなこで日記を書くもんじゃないですね。な〜にを入れ込んでいるんだか。 読み返して恥ずかしいったらない。まんまと小松女史の浅〜い働く女性像に乗せられてしまっている自分が悔しいです。
そう思いながらも、ドラマ『すいか』(片桐ハイリさんの回)を思い出していました。同じ働くことをテーマにしても、すいかのほうがはるかに深い。そうなんですよね、女が働いていくことは、そんなに単純な図式ではない。
私も、働く事務のおばちゃん。お茶汲みもやれば、コピーもやる。べつになんの抵抗もない。(※)いまどき、キャリアの女VSコピーとお茶汲みの女という図式が古くさい。男性の仕事も含めて、そんなにカッコイイ仕事ばかりあるわきゃない。いろんな仕事をする人がいてこそ、一つの組織が成り立つのだ。ハイリさんふんする刑事さんが、仕事のヤリガイにこだわり、自分の仕事を卑下している基子に、仕事というのはそんなことで評価するべきじゃないというようなことを言っていた。そう、あくまでも自分がその職場のほかの人々とどう関わるのかのほうがはるかに大切なことなのだ。そのうえ、真琴のように必死にキャリアを磨いても、会社組織というものは、たいした見返りをくれやしない。いとも簡単に歯車をとりかえるがごとく社員のことなんか見捨てる。
そのうえ、女が働きつづけるには、結婚、出産、子育て、家族という大きなハードルが待ち構えている。いくら仕事を積み上げていっても、いつか重心を移動しなければならない時が来る。私生活を犠牲にしてまで、会社やキャリアに尽くすなんてアホらしい。たとえ、家庭を犠牲に頑張ったって何にも帰ってこやしないのだから。大切なのはやはり家族だ。これは男女に関係なくそうだと思う。
でも、昨日の私は、なぜにあれほど真琴にシンパシーを感じたのだろうか?思うに近頃の私のスランプに起因している。勤続20年。入社以来はじめてといっていいほど、今仕事について迷っている。というか、気力がまったく湧いてこないのだ。同じように、子育てにも、夫婦の関係にも、自分の親との関係にも行き詰まっている。
損な性分だとは思うのだが、家族のほうが大事といいながら、それでも職場にいれば無責任でいられずに、自分なりに頑張って来てしまった。ついつい他の人よりも、残業もし、休日出勤もし、会社の行事に併せて、育児休暇も取らずに、産休のみで出社したり。なぜ頑張っちゃうんだろうと思いながらも、それなりに遣り甲斐を感じて仕事を続けて来てしまった。それが、ここのところ、3人の子供たちの子育てで暗礁に乗り上げ、家族の中でも歯車がかみ合わなくなってきている。そして、なんだろう?いきなり、気力がすべて抜け落ちたみたいに、この頃仕事に身が入らない。ローンさえなければ、とっくにやめているかもしれない。
そんな私に、真琴の若いエネルギー、仕事への夢がまぶしく写ってしまった。あんな頃もあったなあって。私も真琴と同じで、親がののしりあって、離婚すればいいのにという状態だった。そのうえ弟が事情で働けないだろうということで、大学時代から、一生やめないで務められる仕事につく決意で、必死に勤め先を探していた。真琴のように、キャリアをめざしたのではなく、結婚、出産でも止めなくてすむような、地味でも長く務められる仕事を探して。結果として、今の会社は理想的な職場で、辞めずに今まで務めることが出来た。最初の頃は、鼻っ柱が強い私は、真琴のようにプライドが高く、色々な出来事にぶつかって、ずいぶん丸くなったと思う。夕べは、そんな若い頃の自分がどっとよみがえってしまった。
ああ、なんだか取り留めがない。夕べの日記を読んで、急に恥ずかしくなって、こんなことを思いましたとさ。というわけで、今日からお仕事です。ああ、嫌だと思いながらも、頑張らねばならんのでしょうね。剛さんを心のささえに今日もがんばりますか!
※つけたし うちの会社でのお茶入れ・コピー事情 近頃では、部課長でも自分のことは自分でやるようになった。そもそも社内ネットが確率して、以前のようなコピー仕事が少なくなっているのも一因かもしれない。お茶汲みは、重要な来客以外は入れない。各自給茶機で自分の来客分は自分で入れるようになった。もちろん自分の飲むお茶は、当然自分でいれている。お茶を出してもらえるのは社長、専務、常務のみである。取締役でさえ、平取締役は自分で入れています。10年前にはありえないけれど、会社は変わるものですね。
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