日記
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2003年08月16日(土) |
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ドラマ 『すいか』 |
小学校6年生のとき、以前同じクラスだった男の子が、海で溺れて亡くなった。私は5年の終わりで転校し、突然の知らせにとてもびっくりしたのを覚えている。学校行事で行った臨海学校での出来事だった。3人の子供が溺れ、そばにいた先生が必死に救助して、2人は助かったけれど、3人目の彼は髪の毛が短くて助けることができなかったそうだ。そのころテレビのクイズ番組に良く出ていたS教授の一人息子だった。つい4ヶ月前まで同じクラスだった男の子。でも、私はその場に居合わせたわけではなかったので、知らされても、どうしても実感が湧かなかった。お葬式に行って、テレビでよく見るその教授が、泣き崩れている光景が信じがたくて、不思議だったのを思い出す。
中学2年のとき、隣のクラスの女の子が乳がんで亡くなった。家庭科の授業が合同で、班が同じだったので、彼女のことは知っていた。あまりにも若年の乳がんだったので、発見が遅れたそうだ。そのときにもどうしても実感がわかなくて、お葬式のとき、家庭科の先生が泣き崩れていたのを、呆然と見ていたのを覚えている。彼女は胸のしこりを気にして、その先生に相談していたのだと言う。相談されたときに、すぐに病院に行くように言っていればと、悔やんでいたらしい。その先生は次の年、別の学校に異動になった。
『すいか』を見終わってから、かつて私の身近でなくなった人たちのことが、どっと思い浮かんだ。
思えば自分の父親の死にも、現実感が無かったなあ。もともと病弱で入退院をくりかえした父だった。中学生の時に結核を患い、鎌倉のほうに転地療養していたそうだ。幸い結核は完治したが、そのときの手術の輸血が原因で、慢性の肝炎を併発し、一生の病として抱え込んだ。10代を病院ですごし、20代のころでも、夜9時には就寝しないと、一日の活動に支障がでるような、病気と向き合う日々。でも思い切って渡米留学し、帰ってきてから、教職についた。母とはお見合い結婚。11歳違いで、若いさかりの母は、老人のような生活をしている父に、かなり不満だったらしい。親族からは、それほど長生きできないと言われつづけた父だが、どうにか定年まで勤め上げ、64歳でこの世を去った。長女がちょうど1歳になった夏。なんとか孫の顔も見れたことになる。
生きていたときにはさんざん喧嘩をしたり、ぶつぶつ文句をいっていた母が、魂が抜けたように、いきなり老けてしまった。そんな母の様子を見て、父は本当に死んでしまったんだなあと後から実感が湧いてきた。
総務という仕事柄、やたらと葬式にかかわることが多い。いつのまにやら、葬儀屋もできるのではというぐらい、詳しくなっている。葬式はとても事務的であっさりと執り行なわれる。不思議にサバサバしたムードだったりする。たとえそれが若い人の葬式でも変わらない。それは、喪失感を癒すための、伝統的に引き継がれた知恵なのかもしれない。
これはずいぶん以前から宣言していることなのだが、私は死んだら、自分の葬式だけは様子を見に来ようと思っている。誰が本当に悲しんでくれて、誰がざまあみろと思っているか、絶対確かめてやろうと思う。悪趣味だと言われようが、どうしても気になるのだ。泣いてくれる人なんかいないんじゃないかと時々不安になる。もちろん家族は泣いてくれるだろうけれど。家族以外のだれかに喪失感を与えるような生き方をできていたら、死んでも安心してあの世に行けるような気がするのだ。
あらあら、書いているうちに『すいか』とはまったく関係ない話になってしまった。表題に偽りありですね。でも一応お盆つながりということで、お許しあれ。
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