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2004年02月23日(月) 夢の効用/虐待の亡霊とACコンプレックスからの解放 part2

丁度、今から1年ちょっと前、わたしは子供との関係が最悪な
状態でした。今思えば、育児ノイローゼ気味だったのかも、
とも言えるような状態。渦中にいた時は、自分は正常だけど、
ちょっとイライラして、ストレスを感じているから、叱りすぎて
いるのだろう、と思っていました。でも、そう思いつつも、
叱り出すと止まらなくなって、執拗に子供を責め立ててしまう
自分に、どうしたらいいのだろう、と、出口の見えない憔悴感に
囚われていたのです。

もともと、わたしは、躾の厳しい母に育てられて、間違ったことを
してしまうと、なかなか許してもらえない環境に育ちました。
中学生くらいまでは、まあ、今でいう虐待に近いようなことも、
日常的にあったように記憶しています。

そんな生い立ちの経緯もあり、わたしは結婚してから子供を
作って母親になることを躊躇していました。虐待された子供は
自分が親になってから自分の子供に、親にされたことを繰り返す、
と聞いていたからです。要は自分が育てられたようにしか、
自分も子供を育てることはできない、という考え方です。

当初は結婚しても2年くらいはぷらぷらしながら、仕事でも
探して、優雅な夫婦生活を送ろう、という密かな計画があったの
ですが、運命の悪戯というか、天の恵みというか、結婚して
すぐに子供ができて、そのまま初めての妊婦生活、初の子育て。
え、、、まだ心の準備できてない、、、と、戸惑う気持ちとは裏腹に、
一度スタートを切ってしまったら、もう逃れることのできない流れに
のまれていったのでした。

それでも、どうしても自分が母からされたようには、子供を育て
たくない、安心して親に甘えることができる環境を作りたい、と
望んだわたしは、妊娠中にアダルト・チルドレン関連の本を
読みあさったり、自分の生き方、考え方に価値観の近い育児書を
探して本屋を回ったり、と、子供を産むにあたっての、自分の
腹の括り方を模索し続けました。

アダルト・チルドレンの本は、ああ、親に対してこんな風に
思っているのはあたしだけじゃないんだ、という気持ちに
なれて、そういう意味では気持ちが救われた一面もあったのですが、
それでも、どの本を読んでも、根本的な解決方法のようなものは
どこにも書いておらず、載っているインフォメーションは、
グループワークをしてみよう、という、組織の連絡先ばかり。

妊娠中の身で、そんな活動をする気にもなれず、はぁ、じゃあ
どうすりゃいいのよ?!と、解決策は結局見失ってしまった
ような気持ちになりました。でも、その時感じたのは、あたしは
この、アダルト・チルドレン症候群の一員かもしれない、今は
すぐに解決できることではないかもしれないけど、自分には常に、
何かに依存してしまう危険性があることだけは、しっかりと
自覚しておこう、という、祈りにも似た、強い思いでした。

アダルト・チルドレン関連の本を読みながら、もう一方で読み出した
のが、"ホワイト博士の育児書"という、育児関連の本でした。
これは、子供を機嫌良く、大人と一緒にいても楽しく過ごせる子供に
育てる、というのが最大の狙いの本でした。何より惹かれたのは
叩かずに子供を乗ずに躾ることができる、という躾の方法が
詳しく書かれていたことです。

親の立場で、これは絶対譲れない、というラインを超えて、子供が何か
困ることをしたら、その成長段階に合わせて、子供がやられて嫌がる
ことを上手に利用して、悪いことをしたら、こういうイヤな目に合うよ、
割に合わないから止めなさい、というメッセージを送るのです。
嫌がること、といっても、例えば、何か悪戯をしたら、はいはいを
し出す頃の赤ちゃんだったら、身動きを制限されるのを何より嫌がるから
子供がじれて本当に嫌がるまで、床に座らせて、肩を押さえて、
動かないようにする、とか、もう少し知恵がついてきたら、今度は
子供のその時々のお気に入りのモノをリスト・アップしておいて、
悪癖が直るまで、悪戯をしたら、そのお気に入りものもを、手の
届かないところに閉まってしまう、とか、そういう程度のことです。

それでも、子供のことをよく研究してある本で、家の子にはなかなか
効果的でした。わたし自身も、強く叱りすぎたり、叩いたりしなくて
済む分、叩いて叱るといった手っ取り早さはないけれど、ちょっと
我慢してその方法に乗っ取って躾していくだけなので、随分と
気を楽に持つことができました。その本のお陰かどうか、とにかく
ぴよこは、本当に大人といても機嫌良く、一緒にいるのが楽しい
人として仲間意識を持てる子に育ちました。もちろん、ちびなりに、
その時々で必然的に迎えていくべき反抗期などはありましたけど(笑

ところが、ぴよ子一人じゃなんだから、ということで、決心して
下の子を作ったら、それがなんと双子!!妊娠初期から体調が
悪く、病院からも、1日でも長くお腹の中で育てることができる
ように、と、極力体に負担をかけない生活を心がけるように
指導された上に、実際、体のあちこちに尋常でない変化が起こり、
一日の4分の3は、横になっているような状態を強いられて。
丁度その頃2才半のやんちゃ盛り、遊び盛りを迎えたぴよ子の
相手をしてあげるのも一苦労の状況になってしまいました。

幸い、一人でいても、何か作ったり、描いたり、読んだり、と、
誰に強いられなくても、上手に機嫌良く遊べる子だったので、
その辺は助かったのですが、困ったのは、何か悪戯したり、言う
ことをきかなかったりした時。その育児書通りに躾たいのは
できなくなってしまったのです。それに加えて、体の不調からくる
ストレスで、わたしは徐々に、手っ取り早い方法で叱りつける
躾にスイッチしていってしまいました。

そして、双子のやもちゃん達が生まれ、もう何がなんだか
分からないような一種のパニック状態の中での子育てが
始まり、いつの間にか、言葉の通じるぴよ子には、それこそ
自分が気持ちに余裕を持てないことのはけ口のように、厳しい
言葉で叱りつけてしまうことが、頻繁に起きるようになって
いきました。それでも、やもちゃん達が大人しく揺りかごの
中に収まっている間はまだ良かったのですが、はいはいを
始め、本格的に離乳食が始まるころには、なんだか生活の
全てにストレスを感じるようになってしまい、子育てを楽しむ
余裕など、全くなくなっていってしまっていたのです。

何もかもイヤ。一生懸命作った離乳食を全然食べてくれないのも、
寝かしつけようとしても、甘えてふざけて全然寝てくれないのも、
言葉が通じなくて、何で要求がましく泣いているのか、も、
しょっちゅう熱を出して何週間も続けて病院に通わなくては
いけないことも、全て全てイヤでイヤで仕方なくなって
しまったのでした。

そうこうしている間にも、ぴよ子が幼稚園に入る年を迎え、
昼間はやもちゃん達だけを相手にしていればいい日々になり、
少しだけ、気持ちの負担が軽くなりました。それでも、今度は
幼稚園の送り迎えや毎朝のお弁当作りと、それまでしばらく、
一般世間とは全然違うリズムの中で暮らしていたわたしに
とっては、辛い生活の変化が訪れました。何しろ、ぴよ子が
園に入るまでは、朝の9時起床は当たり前、少し夜更かししたら
10時過ぎまで睡眠を貪るなんて、しょっちゅうあったのです。

もともと時間に縛られる、という強迫観念があったわたしは、
縛られるのがイヤな余りに、規則正しい生活を送ることから
意識的に逃げていた感がありました。時計通りにコトを進める、
例えば、決められた時間に決められた場所に行く、ということ
すら、ある種の恐怖感を感じて、遅刻しないことには、辿り
着くことができない、といった有様でした。

そんなわたしが、ぴよ子の園の生活に合わせて、生活スタイルを
社会に合わせなくてはいけなくなり、それは思った以上に
わたしにとっては負担を強いられることになっていたようです。
やもちゃん達も、どんどん活発になってきて、家にいても
一瞬も目が離せない、子供に自分の全てを操られてしまっている
ような束縛感。やもちゃん達は、ぴよ子の時のように十分に手を
かけてあげることができず、ぴよ子の時に活躍した育児書すら
読めずに、自分の理想通りに子育てができていない、とう憔悴感や
自責の念。あれもこれも、みんなあたしがやらなきゃいけないんだ
よね、、、世間一般では当然母親の仕事だもんね、、、という妙な
背負い込み。

そして、まだまだ当時は慣れていなかった、旦那の両親との
同居生活。姑に様子を伺われて、あれやこれや監視されているの
ではないか、変に思われないように、批判されないように、ちゃんと
しなきゃ、という被害妄想的な思いこみ。

全て、自分で膨らませていった、いわば身から出たサビのような
もので、まるで鎧のように自分の自由を自ら制限していって
しまったのでした。

そして始まったのが、ぴよ子に対する、虐待に限りなく近い
言葉の暴力と、やもちゃん達に対する、ひっぱたくなどの、
肉体的な暴力だったのでした、、、。自分がイヤでイヤで、
情けなくて仕方なかったのに、どうしても止めることが
できなかった。幸い、訳もなく、虐待紛いなことをする、という
ところまでは行かなかったけれど、叱る理由を探しては叱り
飛ばす、というような心境くらいには、至っていたかもしれない。
今となっては、当時の自分の心境をよく思い出せない、という
ことが、既にその頃の異常な事態を物語っているように思います。

このままじゃ良くない、このままじゃ、わたしが絶対止めようと
思っていたことを、ますますエスカレートさせてしまうだけ。
子供の気持ちがわたしから離れてしまう、子供が親の顔色を
伺って、安心して親に心を開けなくなる、甘えられなくなって
しまう。何より、子供らしい子供時代を送れなくなってしまう、、、。

頭では分かっていても、もう自分だけではどうしようもない
所まで行ってしまっていたようでした。子供を叱りつける、
子供が言い返してくる、更に叱りつける、子供がストレスを
抱える、そのストレスをまたわたしにぶつけてくる、それを
叱りつける、、、。地獄のような悪循環のドツボにはまって
しまって行ったのでした。

わたし、今おかしい、正常じゃない、最後の心の悲鳴を聞いた
ような気がして、わたしはある日、同居しているおかあさんに
相談してみたのでした。わたしはすごく厳しく躾られて、自分の
子供にも厳しすぎるところがあるみたい、おかあさん、見ていて
心配だと思うけど、どう思いますか?って。

おかあさんは、その時は笑って、誰でもあるよ、大変な時期だし
仕方ない、大丈夫だよ、そんなに心配する程な感じじゃないよ、
って言ってくれたのです。


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