エース 7 - 2007年03月21日(水) ■彩華 1 あの夏、甲子園での出来事は、私にとっても衝撃的だった。一人の観客としてあの暑い中、大盛り上がりのスタンドから彼の勇士を見ていた。 私が今歩いている道を切り開いてくれたのは、間違いなく彼。女性と言う立場では、野球に携わる事なんて、正直今の状態で頭打ちだったのだ。それでも私は、もがきながらもここまでこれた。 しかし、私の所まで飛んできたボールは、彼と、そして私の人生を大きく変えてしまうものだった。 「昨日さぁ、キャッチャーいないからすごく困ったんだけど」 「…ごめんなさい」 「なにー?そのマスク。病人っぽく見られたいワケ?」 風邪がひどくて、今日こそは病院に行こうと思っていた日だった。1時間目でも憂鬱なのに、私の席は朝からソフトボール部の嫌味な連中に取り囲まれてしまった。 「先頭たってチームを導こうって人がぁ、それでいいの?」 「あんた目当ての男子どもが、あんたいないって気付いた瞬間どっかいっちゃうんだもんねぇ。何勘違いしてるのかわかんないよねぇ」 私だって好きでキャプテンになったわけじゃない。男子だって迷惑なものだ。普段はチヤホヤしといて、肝心なところで助けてくれない。今だってこちらを見てみぬフリをしている。後になって「大変だったね」と、慰めてくれるんだろうが。格好つけているつもりなのかと、疑いたくなる。 美人も才能も、そんなもの、なければいいんだ。 「今日は出るんだよねぇ?部活」 確信犯的な質問だった。 「ごめんなさい。今日は、病院に行くから」 私がそう言うと、案の定、はやし立てられ非難を浴びせられる。でも、耐えればいいんだ。そうすれば、部活ができる。 「おい、やめろよ」 後ろに気配を感じたと思った瞬間、声がした。振り返ると、神山君がいた。 「お前ら、普段勉強理由にしてサボってんだろうが、明らかに風邪引いてる人間に、よくそんなこと言えるな」 信じられない。クラス一の人気株が私をかばっている。 「な、なによ。神山君には関係ないことじゃない」 「あるよ」 神山君がそう言った瞬間、目が合った。 「俺は、秋野がどんくらい頑張ってる奴か、知ってるから」 「…………」 「ウソだと思うんだったら、部活後に河原の広場に行ってみろよ」 何もいえなくなった私の前にいる人たちは、まとめて私の机の前から離れいていった。気付いたら、私は彼の顔をじっと見ていた 「…ありがとう」 「いや、いいよ。大事にしなよ」 そう言って、彼は去っていく。男子のグループに戻った彼を、彼の友人達はからかっていた。 風邪が治り、部活に戻ったけど、状況は前と変わりなかった。ただ、私は部活中も野球部のグランドが気になって仕方なくなった。神山君は野球部のエース。遠くから見ていても、その異彩は私のところまで届く。 天才や、才能という言葉を嫌う彼の努力は、私も知っている。普段良くそんな姿を見かける。しかし、彼の投球は紛れもなく天性のものに違いなかった。 でも、なんだろうか。彼を見ているときの、この感覚は。 「白馬の王子さまだね」 「…何言ってるのよ」 二つ下の中学一年生の妹は、最近の私を見て誰かにに恋をしているのだと思い込んでいた。 「すごーい。お姉ちゃんが惚れる相手なんて、よっぽどカッコいいんだね」 「馬鹿なこと言わないで。あんたとは違うわ」 読書の邪魔だったのもあるが。こんな時まで彼のことを思い出したくない。頭が一杯になってしまう。 「なに、もしかして野球部の神山先輩!?」 「き、清美!」 妹にしてみたら、してやったりだ。私のリアクションは、あからさま過ぎたようだ。 「えっ!?マジなのっ?キャー!ライバル多そう!バスケ部の友達もさぁ、バレンタインのチョコあげようって子が何人かいたんだよ?」 それこそ申し訳ない話だ。彼みたいな人気者に、私みたいな女子はどこかの枷になるに決まってる。手だろうか、足だろうかと考えていると、清美は続けた。 「お姉ちゃんも、普通の女の子だもんね」 「…そうだと良いわね」 …素直な感想だった。 私の両親が離婚したのは、私が中学を卒業してから直ぐのことだった。父親の不倫が原因だったので、母さんは別に要らない慰謝料でも父親から巻き上げた。私も清美も、とうとうこの時が来たかという感じで。父親が余り好きではなかったし、清美に至っては父親の不倫現場を目撃していたので、むしろ喜んでいるようだった。 内心、彼の行く高校へ進路を取ろうかとも考えたけど。その希望は見事に打ち砕かれる。彼は県外では無いが、地元から大分離れた理系の高校へ進むらしい。また試合に勝つたびに、女子にもてはやされるのが嫌だったのだろうか。気持ちは解る。 私も、敢えてソフトボール部で名を聞かない高校へ進んだ。さすがに、ソフト部の無い学校は見つけられなかった。 「…あのな、蒼衣」 「はい、野球部に入れてください」 「せめて書き間違いであってくれと思っていたが…。試合には出れんぞ?」 認めたくないことではあったけど、どうやら私にも天性のものがあったらしい。公式戦には出られないものの、打撃・守備・走塁どれをとっても、野球部の上位に位置し続けていた。「勿体無い人」と、よく言われた。 その上、時にはマネージャー以上の仕事もしながら。 「監督、今日の須藤君はあんまり調子よくないみたいです。でも先発は変えずにセットアッパー※に加藤君を登板させてはどうでしょうか。状況次第で早くなるかもしれませんけど、次の試合もありますし」 (※先発投手の後を投げる投手。救援投手ともよばれる。) 「あ、あぁ、そうしようか」 でも、それが楽しかった。神山康次という人間の後を追っていた感じはずっと拭えかったけど、こんなにもスポーツが楽しいんだ、みんなとこうやって色々考えながら、練習して試合に勝つっていうのは、こんなにも嬉しい事なんだと。自分は参戦できないが、チームが勝つたび、神山君の姿がを少しずつぼやけてくるのを、私は感じていた。 「取材?」 突然、監督に呼び出されたと思うと。ある野球雑誌が私の特集を組みたいと言ってきたそうだ。神山君も、それに載った事がある。今でも、私の宝物だった。 「まぁ、これからの高校野球を変える人材になるかも知れん。みたいなテーマらしいぞ。面白くないか?お前としては」 ―期待の新星(!?)無敵の高校女子野球児 この記事は、えらく話題を呼んでしまった。言い寄って来る男子に留まらず、女子からのラブレターも相当な物になり、私は正直、管理に困るほどだった。神山君の目に留まるかもしれないと思って受けてしまったことを、深く後悔する。しかし彼からの連絡は、無い。もしかしたら、友達伝いに、何かあると思ったのに。彼のことに対しては、いつまでも積極的になれないままだった。 しかし、3年目の夏、ついにこの日が来た。神山康次が野球部に在籍している、S高との試合だ。高が地区予選の3回戦なのに、まるで決勝戦前日のような緊張感に襲われているのを、妹の清美には見抜かれてしまう。 「…ねぇ、お姉ちゃん、明日の試合、あたしも観に行っていい?」 「なんで許可なんて取るのよ」 私が緊張している事を察しての言葉だったのかは、わからなかったが、素直に疑問に思った。 「だってさぁ、あたしもナマで神山さん見ちゃったら…多分」 滅多に見ることの無い、虚ろな清美の表情を見て、寒気がした。 「え…な、なに?」 「だってさぁ、この雑誌もさ…あたし何回も見ちゃってるんだ…」 その時清美が手にしていたのは、私も取材を受けた雑誌の、神山君の事が特集になっていた号だった。しかしこの家の中では私の机の中にあるはずなのに。 「ちょっとそれ、私の!?」 「あたしの!あたしも買ったもん」 「…あ、そう。でも、別に良いんじゃないの?好きになっても」 私はそう言うと、気を紛らわすかのようにそこにあった携帯電話を弄りだした。押すボタンも幾分適当だ。 「何それ。余裕の発言?」 「…別に。私は、彼のことそんな風に見てないから。…そうね、好敵手よ。ライバルライバル」 そうだ、私が彼に、恋心なんて。そもそも、そんな事一度も実感したことなかったので、自分に言い聞かす事くらい、できるはずだ。 「よく言うね、そんなに緊張してるのに」 「誰がよ」 言い掛かりだ。心の中で、そう反論した。 「お姉ちゃん?」 「……何?」 「それ、私のケータイ。返して?」 今思えば、別に清見じゃなくても、私が何を考えているのかわかったかも知れない。 私は、全力で試合に挑んだつもりだった。選手のコンディション、相手投手、クリーンナップへの対策。ここ数週間、この試合のためだけに考えを練ってきた。しかし、それさえ甘かった。 初回、S高の4番打者、堺将馬による3ランホームランは、士気を打ち砕くものだった。加えてエース、神山康次の猛々しいピッチングは、私さえも、見惚れてしまう。 負けた。きっと、私が試合に出ても、敵わない。しかし悔しさ以上に、胸が高鳴っている。私はどうして、彼のいるチームと対戦したかったのか。本当に勝ちたかった為なんだろうか。 ……………。 違う、「頑張ったな」って、頭を撫でてもらいたかった。 甲子園、7回表の神山康次は、もう私の手の届かないところにいた。彼の腕から放たれた白球は、まるで猛獣のように打者に向かっていく。荒々しく、正確に。 もう、あの時私を助けてくれた人は、あんな所にいる。私は、あの人に助けてもらった。些細な事だけど、忘れた事は無かった。今になって、涙が流れた。 しかし、8回。彼の肩が壊れた。ただのボールは高々と舞い。私の前の席に、突き刺さった。 -
|
|