エース 1 - 2006年07月16日(日) ■彼女 市街地から少し離れたバッティングセンター、昼なら暇そうな兄さん方。夕方過ぎたあたりになると、スーツ姿の人たちが日ごろの鬱憤をはらそうとしているのか、バッターボックスの6割は、ネクタイを巻いたお客さんで埋まる。コンパクトなスイングで堅実にボールを打ち返す人。格好だけの豪快なスウィングで、ボールがバットに当たる快感のみを求めているような人。それはもう、様々だ。いずれにしても、少々暑苦しくて長い時間続けて見ていると、割と楽なバイトでもそれなりにしんどいのだ。 しかし、その中に明らかに異彩を放つ人物がいた。 バッターボックスで精密機械のようなバットコントロールを見せつける。右へ、中へ、左へ。その人がいると、場内にホームラン賞を告げるファンファーレが鳴り止まなくなる。 「うお、また当てたよ!」 休憩中のサラリーマンは、コーラ片手に驚いた。人だかりが出来るのも無理はない。 身長は170cmあるだろう。綺麗な茶色のロングへヤー、モデルのような体型、少しきつめの目は猫の目を思い出させる。年齢は…23、4と言ったところか。 人だかりを尻目に、俺は入り口の受付に戻った。 ホームラン賞を打った人には、任意で写真を撮らせて貰う。見上げた目の前のボードには、その写真が何十枚もあった。その9割以上は「蒼衣 彩華 様」。それが、「彼女」の名前だった。全部同じ、無表情。賞を取った割には、いかにもやらされてる感じが拭えない。 今日も写真を撮らなければならない。 『今日は違った表情、見せてくれないかな』 しかし、浅はかな願いは直ぐに消し、俺はポラノイドカメラの準備に取り掛かった。 「…すいません」 今はもう聞き慣れた声。先ほど快音とファンファーレを鳴らしつづけていた女性が目の前に来た。 「あ、どうも、いつもありがとうございます」 俺はそういうと、視線をずらした。先程の人だかりの目線は、未だ彼女を捕らえている。彼女に視線を戻し、訊いた。 「今日は何球出たんです?」 ちなみに「何球」というのは、無論ホームラン賞の回数だ。ここまで常連だと、その言い回しで十分通じてしまう。財布を取り出しながら、彼女は首を傾げた。 「20…から先は、覚えてないです」 この間は23回だったか。 「はは、お手柔らかにお願いしますよ。ホームランの的、調整しなおしたばっかりなんスから」 笑って、バッティングをプレイするためのカード一枚差し出す。本来なら、そのカードは「一回券」。しかし彼女に差し出したのは「五回券」。特例だ。さすがに20何回分の券を渡してしまうのは、店側としても痛い。彼女もそれは了承している。 「今日は32回でした」 俺がそう言うと、彼女は受け取ったカードを財布にしまいながら少し驚いた。 「…数えてたんですね」 俺は受付から出て、彼女にカメラを向ける 「…今日くらい、少し笑いませんか?」 彼女は答えた 「じゃあ、何か面白い事言ってもらえませんか?」 俺は聞かなかったことにして、シャッターを押した。 何度も彼女に会っているが、笑顔を見た事は、一度も無い。 だが今日も、写真に写った彼女は綺麗だった。 雨。 道理で左肩が軋むわけだ。 「これは、チャリは置きっ放しだな」 残念ながら車が無い俺にとっては、自転車のみが移動手段だった。バイクには乗りたくない。小さい頃に親父共々に転んで、トラウマになっている。 今日の晩飯は、目の前のラーメン屋に決めた。今日は替え玉が無料なので、丁度良い。 店に入るなり注文すると、テレビではスポーツ番組が放送されている。巨人がまた連敗したらしい。特に興味が無いので、バイト中に来たメールの返信をすることにした。この間飲みの会で知り合った女の子から、どうでも良い内容のメール。最も、どうでも良いと感じているのは自分だけかもしれないが。適当な文章を打って返信ボタンを押した。 一つ欠伸をして再びテレビ画面を見ると、プロ野球の話題から今熱い高校野球の話題に変わっていた。 脅威の18奪三振。無安打無四球のパーフェクトピッチング。 ある高校のエースがインタビューを受けている。野球は一試合で、延長や点差が開き過ぎてコールド試合が無ければ27回のアウトを取る事になる。その中の18回が、ピッチャーによる三振と言うのだから、凄いのだろう。しかし、次の画面で彼が女子高生にチヤホヤされているのは、それに彼も応えているのは少々気に食わない。 なんてことは無い、俺がやったのは…21奪三振だ。だがホームランを打たれた、試合にも、負けた。 そんな俺がどうしてバッティングセンターでバイトなんかをしているのか。それは、目の前に差し出されたラーメンを食べてから、考える事にしよう。 -
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