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澱ふたたび - 2005年07月03日(日)


わかっていたことなんだけど、やっぱり営業は向いていない。と自分では思う。
やればできる。やりたくないとか、できないとかじゃない。でも、たぶん向いてない。
じゃあ、向いているのは何か?となると、わからない。人に指図されるのが嫌いなわけじゃないし(指図する人が正しいと思えば何を言われてもきちんとついていく)、そもそもが怠け者のわたしには、強制的に動かされる状態のほうが向いているだろう。唯一自慢できる責任感だけで動くことができるから。そういう意味では研究も向いてない。なんだか向いてないことだらけだな。

営業が向いていないと思うのは、お客さんと相対しているときに、「なんでこのひとのために、わたしがこんなに気を遣わなきゃいけないんだろう?」と時々思ってしまうからだ。
頑張って気を遣った結果として数字ができていくことに対して嬉しく思う気持ちは、単純に勝ち負けに拘っているからこその気持ちであって、お客さんに喜んでほしいとか、役に立てて嬉しいという気持ちからではないと思う。もちろんそういう気持ちがまったくないと言ったら嘘で、本質的な部分ではそれを目指しているのには違いないし、そうでなくてはならない。けれど、じゃあ現実がそううまくいくかと言ったら、もちろんいかないわけで。拘らなくちゃいけないところではあっても、拘りすぎたら営業としてやっていけない。
何といっても会社員なのだ。


高校の頃に感じていた漠然とした焦りや不安。一生懸命やっているのに何か満たされないもどかしさ。何がいけないのかわからないのに何かがずっと心に溜まっていくあの感じ。
あの頃、吐き出す場所がなかったのもつらかったが、いざ吐き出す場所が出来たときも何を出せばいいのかさっぱりわからなくて、今度はそっちのほうがつらかった。それが再びやってきた気がする。今は吐き出す場所がない。だからたぶん、無条件に誰かに甘えて、その相手から、そうかたいへんだね、と言って欲しいのだろうと思う。そして愚痴を言い合うだけでなく、建設的な話がしたい。どちらも、相手はできれば異性がいい。

ああそうか。だからわたしは、いつも必死になって直哉を求めてきたのか。ひどい話だ。直哉によって満たされれば、他の誰かに思い遣りをあげることも、少しはできる。だけどそれでは絶対に、直哉を思い遣ることはできない。ひどい話だ…



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past  will





Not one night
one single day
that I wouldn't give to you
So with all my might
in every way
I'll try to forget to you

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