だから知らないふりをする - 2004年10月03日(日) この日盛岡に行こうと思ったのは、自分のためか相手のためか?と尋ねられたら、わたしはうまく答えることができないだろうと思う。 顔を合わせてすぐに「どうして来たのか、何か理由があるんじゃないのか」と尋ねられたのも、そのせいだろう。 会いに行くことで励ましたいと思ったわけではないし、自分が励まされたくて行ったわけでもない。ただ何となく、行ってみようかなと思っただけだ。 その「ただ何となく」にすら、自分でも気づいていないような理由があるというのなら、それはそれでそうなのだろうと思っておくけれど。 自分に余裕がなくても、誰かだいじな人のためなら、自分のできる無理をしたい。 そう言ったら、そんなのは偽善者の言うことだと言われたことがある。 そんなことを言っていても、どうせ自分がいちばんかわいいんだから自分がつらい目にあっていたら絶対にそんなふうには思えないはずだと。だからそう言うことで自分がそう思っていると思い込んで、そのことに満足しているだけだと。 それにそもそも「あなたには」とてもそんなことは「無理」だろうとも言われた。 あれから何か変わったのだろうか? 無理をして関わることで自分がつらい思いをしたとしても、それを相手にぶつけるのは、自制心がないせいという最悪の理由だし、そういうことをするなら最初から観音さまみたいな顔をしなければいい、という話だ。 いま、というよりは少なくともこの半年、少々苦しくても、わたしにできることで思いつく限りの、相手のための行動を取っているつもりだ。けれど、こちらがつらいとき、相手が自分の満足するようには応えてくれないとなると、途端に「わたしはこんなこともあんなこともしたのに」と、思ってしまう。 となると、これじゃ単なる偽善者だから、見返りを求めないで行動してるっていうのも嘘だ、とか、自分が予想しているほどには相手は自分のことを大事に思っていなくてそれが嫌なのだ、とかそういうことを、認めざるを得なくなる。 やはり無理は無理でしかないのだろうか? 次の面接はいつ?と訊かれて、本当は翌日だったのに、とりあえず明日じゃないよ、と言ったときの気持ちまで否定したくない。なのに。 -
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