誰か、は「誰か」ではなく。 - 2004年10月01日(金) 「どうも、自分が把握しているより、本当のところではもっとずっといやだと思っているようだ。だから話したくない。」 「仕事ならば、我慢できる。むしろ仕事ではないからこそ、我慢できないのだ。」 端的に語るならこれしかない。 ショッキングな出来事ならば思春期にもいくつか体験したが、それどころの騒ぎではなかった。 既に2ヶ月前のことになる。 結局、友人で詳しい話ができたのはなっつだけだった。 それもタイミングのなせるわざだ。 いちばん話したかった人は、あのとき外国にいたし、何より本人がひどく落ち込んでいた。こんな厄介な相談事はもちこめないと思った。 わたしの話を聞いてなっつは自分のことのように怒った。 なぜ「お前ともあろうやつが」、何も言わず、相手をひっぱたくこともせずに戻ってきたのかと言った。もし自分がその場にいたら絶対にそいつを殴っていたとも言った。 今後どのような関係になるかわからない相手にできることには限りがある。それにあれは会社の名前で泊まっていたホテルだった。それを考えると下手なことはできなかった。それがわたしの答えだった。 そしてそのときわたしは泣かなかった。 最も話したいと思った人にすら、少し時間が経つと話せなくなった。 それ以外の要因で一時期うまく彼と話ができなかったせいもある。 話を聞いてどう思うか、わたしがどうすればいいと思うか、とても聞きたかったが、もうどうしても話せなかった。 会社側と顔を合わせて話をすることを承諾したのは、半分仕事をしているようなものだと考えているわたしの、最低限の誠意だ。 こちらが誠意を見せる必要はないとなっつは言ったが、縁あって選考過程からお世話になっている会社だ。 そこまで言うならなぜあちらが来ないのかとも思ったが、まあいいだろうと出向くことにした。どうせもう一方の内定式の日だ。 しかし話をするとなれば再び訊かれるだろう、何があったのかと。 それは話したくない。辞退することそれ自体が、わたしが引っ込めば済むことだ、という結論に基づくものなのだから。 それまでの会話でも、話は堂々巡りだった。顔を突き合わせても同じことになるだろう。 何をどう話せば納得してもらえるのか。まったくわからなかった。 ずっと考えていたらさっぱり眠れなかった。 話したかったことはもう話せなくてもいいから、ただ話がしたいと思った。 日付がこの日に変わって、深夜3時。 相手がまだ起きていることを確認してから、電話をかけた。 あの日の具体的なこと以外、会社とのやりとりなどはこれまでに話してある。 話せる事実はもうなかったから、わたしの抱えている気持ちだけを話していた。 本当はこのまま黙っているのは悔しいのだとか。 どんな相手も基本的には信じていたいのに、それは無理なんだと思うと悲しいとか。 本当は今からでも張り倒してやりたいのだとか。 話しているうちに、このことがあってから初めて、本当に泣けてきた。 何があったのかは少しも話していないのに、なぜだかものすごく涙が出た。 なにも言えず、とても泣けた。 もう大丈夫だと思った。 この先ずっと話せなくても、気持ちが揺らぐことはないだろう。 あとは素直にこころを見せるだけだと、そう思った。無理をしなくてもよくなった。 何も話せなくても、あなたがそこにいることに意味があるのです。たったそれだけのことなのです。それとも、わたしはもっと望んでいるのでしょうか。 -
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