夢を見た - 2004年06月24日(木) 高校時代、軽音楽同好会に入っていた。 思うところあって途中で辞めたが、そこで出会ったひとつ上の先輩たちと、私的にもバンド活動をしていた。 よねちゃん、ケイさん、塁さん。よねちゃんはなっつのクラスメイトでもある。 軽音と合わせて、月に一度はライヴをしていたと思う。 二年生のときに高校の文化祭のテーマ曲を作ったのも、このメンバーだった。 塁さんは他校生だったのに、応募の音源にはコーラスとギターで参加していた。 このバンド「ダンプカァ」のメンバーは、全員同じ小学校の出身だった。 だから全員の家が近所にある。 練習帰りにも学校帰りにも、よく、メンバーの家に寄った。遅くまでいろんなことをした。 親にはいつも怒られた。わたしだけがジョシだったからだ。 当然彼らはわたしよりも一年早く高校を卒業し、そろって千葉に行って「サムライピンク」の名前でバンド活動を続けていた。 わたしが欲しかったのは一緒にやっていく仲間だったけれど、彼らにとってはそうではなく、「演奏技術のあるドラマー」だったらしい。 音楽で食べていこうと思うなら、それも仕方ないのかもしれない。 いや、仕方ないのだろう。 バンド仲間のつながりというのは意外に侮れないもので、いろんな噂があっという間に広がる。ごくごく小さな世界ではあっても、「ダンプカァのドラム・amitee」で通じてしまったり、ライブハウスで声をかけられたりということもある。 そんな中で、軽音でも先輩にあたる「よしひささん」の評判は、芳しくなかった。 いろんな人が、いろんなことを言っていた。 わたしが一緒に組んでいたメンバーも、いろいろ言っていたのを、知っている。 でも、よしひささんは本当は、悪い人ではなかった。 わたしが軽音を辞めたときも、いちばん親身になってくれたのは、ダンプカァのメンバーではなく、よしひささんだった。 よしひささんは、現役で大学に行き、演劇を勉強しながらバンド活動もしていると聞いていた。 そのよしひささんと、よねちゃんが、けさ、夢に出てきた。 サムライピンクは本気でプロを目指している。 だから、お前もこっちに来て一緒にやらないか、なんでいつまでもそんなところにいるんだよ、と言われた。 よねちゃんには、ほらよしひさもいるから、と言われた。 よしひささん入ったんだ、仕事は?と尋ねたところで夢は終わった。 サムライピンクがプロを目指しているのは本当だ。 気になってサムライピンクのWEBに行ってみた。 本当に、ベースが入れ替わり、よしひささんが入っていた。 あんなに欲しかった「仲間」、わたしはこの場所で手に入れた。 もし、サムライピンクのメンバーが本当に仲間になれるなら、プロになることもあるかもしれないと、少しだけ思う。 わたしがキーボードアレンジもした「春爛漫」。 塁さんにも、よねちゃんにも、あんな曲は、もう書けないはずだ。 わたしはあの曲が好きだった。 -
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