「花のように」

最近の邦楽では、ラルクの「瞳の住人」と、エブリリトルシングの「ソラアイ」とあゆの新曲「Moments」が気に入っている。

「あゆわぁ〜。」という爆裂低脳お喋りがお馴染みのアイドルなんぞにはちっとも憧れないのだが、奴は時折、心の真っ向から真摯な詩を書く。パクって継ぎ接ぎの歌詞なんて言われているし、それはわたしにも鸚鵡みたいに摸ね専門の、言葉や思いを巧みに掠め取っていく存在があるので軽蔑に値するものかも知れないが。それでも誰かがつけた「華麗な詩人」というキャッチフレーズだけは羨ましいと思っていたり。

曲調より歌詞に重点を置いてしまうのはずっと幼い頃からの癖。洋楽のそのままですか歌詞もクレイジーで嫌いじゃないけれど、より邦楽を好むのはやはり日本人が創った詞があるからかな。たまに「こんな詞ならわたしのがましな詞書きますぜ。」というのも多々あるのだがね。でも「これは書けないな。」という詞も多々存在するわけで。

「Moments」の世界は存在という眼に見えるものではなくて、例えば魂とか希いとか祈りとか。大好きなひとの傍で揺蕩う、或いは遠くから見つめる。そんな感覚。視線の先の唯一点を愛する。犠牲的な掌は無心の笑顔に救われるのだと。その笑顔の為になら、何に背いても。

わたしは全く犠牲的な想い方は出来ない性質なので、この詞の主人公にはなれない筈なんだけど、稀にこうして重なるという事は、自他共に認めるこのエゴイストにもそういう部分が少しは息衝くのかな。

華麗な詩人らしく密かに潜ませた「花鳥風月」に少し笑いながら。


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