この一枚 - 2004年10月13日(水) W新盤、購入。 『映像の世界 Vol.1』、購入。 収録曲を知らないで買ったので、『センチ・メタル・ボーイ』や『Give Me Up』が入っていないのに気付いたのは帰宅してから。 再配達にて、会報26号通販、届く。 *** *** *** *** *** 使い勝手の良い言葉ってのがあって、そうゆうふうに評したら『新垣里沙写真集』の大要を掴んだような気になるけれど、都合のいいフレーズによってぼやかされてしまう部分が気になるなぁ。 数日前に、僕自身も「等身大」って表現を用いたけれど、写真集で、いちばん初めに「あッ」と思わされた一枚ってのは、巻頭に挟まれていた付録ポスターの里沙ちゃんで、僕はこの一枚に、思いもよらぬ大人な(自分よりも対等以上に見える)里沙ちゃんを感じてしまってドキドキした。 概ね好意的な意味で用いられているにせよ、「等身大」ってゆう言葉には、どこか対象を矮小化している感じというか、相手のもつ様相は単純明快で、こちらから測りきれないような複雑性を保持する不可知的なものではない、って感じの当方優位の視線が潜んでいるような気がする。というか、そう感じる人間なんだ、僕は。 もしかすれば、それをも含めた上での、写真集を愉しんでいる側面、なのかも知れないが、皆が皆、同じ様なことを言っているとさ、それによって里沙ちゃんまでもが均質化されちゃうような気がして嫌なんだ。いいよ、病気でも。 で、ポスターに戻ると、こちら側の目線は明らかに目の前の相手より低い位置からの仰角で、ややこしいのは里沙ちゃんで、前に身を屈めて、顔は真正面からちょっと覗き込むようにして、やや上目遣い気味にこちらを見据えた視線になっている。 僕が、大人な感じを受けたのは、こうして折り重なって交錯する視線の関係が演出されているからかな。 この写真集には、意外にアオリのカットが少ない。物理的に俯角視点が多いから、結果、ちっちゃな里沙ちゃんを見おろして安心している、なんて言ったら乱暴にすぎるけれど、作為か不作為かは別にしても、ある種の傾向を含んだ画面構成には意を留めておきたいところ。 ...
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