斉藤家の一族 - 2004年08月18日(水) お母さん、ソックリです。色白なひとみん、でした。 (以下、追記) やっぱり、急行「きたぐに」自由席は無謀だった。 「米原」からの乗車にもかかわらず、奇跡的にボックス席を確保し、そこを独り占めできたんだけれど、眠りの浅いことといったら。浅き眠りのなかからとは言え、「柏崎」でしっかり目が覚めた自分で自分を褒めたい。 新潟は雨。時折、激しく。 当初目的としては、聖籠町にあるアルビのクラブハウスを訪ねよう、そして僕が広島でもっとも好きな選手のひとりである桑原裕義選手(MF。1971年生まれ。広島工高→大体大→広島。今期より、広島から新潟にレンタル移籍中)にサインを貰おう、と考えていたんだけれど、クラブ公表の練習スケジュールによれば当日練習は「18:00から新潟市陸上競技場」の予定となっていたので、何とも遣りきれない思いの儘、泣く泣く回避。これだから反町監督はあんまし好きにはなれない。 まるきりやることが無くなったので、会場近くのサウナで夕方まで寝る。 ■極上メロン 新潟フェイズ 最前にでもなれない限り、絶対に前には行かない、と決めていた(その上に、前夜に己の死に場所を定めてしまった僕は、此処では絶対に死ねない、と心底から思っていた)ので最後部の柵の辺りに陣取り。開演の時刻まで凭れて俟つ。 工事用ロープの区切りを挟んで僕のすぐ横が招待者専用の椅子席スペースだったので、背後の通路を縫って、「斉藤家ですけど・・」って係員に名乗る十人ほどの一団がぞろぞろと登場。 開演後もずっと、御家族の様子を横目で追っていた。 お母さん(推定)以外は、どんな繋がりのある人なのやら皆目判らず。とは言え、ファンの身勝手な幻想を裏切らないステキさを放っている御家族だった。 途中のMCで斉藤さん曰く、朝、自宅で『チャンス of LOVE』を再生していたら、聴いていたお父さんが「いちばん、この曲がすきだな・・」って呟いたんだと。今日、それをソロで唱うのよ、とは言えずに家を出てきたんだってさ。 そのお父さんはあの会場に居らしたのかなぁ?御一行様のなかで、見受けられるような方には気付かなかったんだけれどな。僕が気にかけることでもないのだが。 話自体はいい父娘episoudoなんだけれど、個人的には、柴ちん三部作の掉尾を飾る『チャンLOVE』こそ、もっとも生歌で聴きたい一曲だったのでフクザツだわ。 はじめこそ嗤うしかなかったけれども、おとめの終結宣告は素直に受け容れられました。半年前の同じ新潟での想い出は褪せない。 ...
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