2003年09月29日(月) |
とあるヒヨコのおはなし(ヤク中 |
帰る場所と待っててくれる人について、あるヒヨコが考えました。
「あたすだって、去っていった人や、自分のもとには帰らない人に涙をながしたこともある。 待ってばかり、期待してばかり、ぐちをこぼしつつ、何人かのメスと、ときには何かを勘違いしたオスが、あたすを通り過ぎていったわ。 それにもかかわらず、あたすはいつの間にか「待つ」という気持ちがどういうものなのか忘れてしまったのよ。ああっ。なんてあたすはばかなのかしら。」
「いかないでぇ〜」とか、「さみしいんだ…俺」とか、そういう好意の気持ちを伝えるのは、ありがた迷惑におせっかいのオマケ付きだと、何かをヒヨコは勘違いしていて、「待つ」気持ちを忘れ去ったのです。 そして本性であるわがまま子を、頭かくしてケツかくさずにすることを決心したのでした。
いっとくがトラウマの話ではないわよ。 なんせあたすは虎でも馬でもない、れっきとした鳥なんだから…
ゴホン。
でもキミは素直に泣くではないか。
さみしいと。 理由がほしいと。
そのときです。 ヒヨコのカタストロフィーがいともかんたんに溶解したのわ。
「ピヨピヨピヨ。 なんなのよ、その不思議なパワーは。 あなたの涙がダイヤに見えるわ。 あたすのわがままなおケツも丸見えなわけだわ。」
「あたすのために、フツーに泣いてくれる人が居るのね…。」 とヒヨコはしみじみ思ったのでした。 「あぁなんてハートウォーミングなのかしら。」 ヒヨコは知らず知らずに泣いていました。
それと同時に、年をとることは素晴らしい反面、失いたくないものが増えてしまうのだとも、ヒヨコはおぼろげに、そしておマセに感じていたのでした。
つづく
|