東京駅の大丸でやっているロバート・メイプルソープ展へ行った。
彼の作品(主に写真)は「エイズ・アート」と呼ばれている。エイズ・アートというものは、一般的に流布している「エイズ=怖い=隠すべき烙印」という誤った記号を覆すもので、ゲイムーブメントやドラァグクィーンがノンケに「おしゃれなもの」としての新しい認識を与えた様に、なんとなくおしゃれで、輝いていて、それをひとつの個性としてアーティスト自身が発表しているものが多い。しかしなぜそれが一般ウケするかといえば、それは別にエイズという一見他人事のように思われている「奇抜な」看板だけが物を言っているわけではなく、自然自然に、「セクシュアリティ・生と死・幸せに生きるとはどういうことか」というテーマがよりにじみ出やすいからだと思う。 しかし、メイプルソープはエイズ・アートの代表格だといわれると書いたものの、彼自身が単なる写真家としての称号を嫌ったように、その枠にはめてしまうのはいささか疑問を感じる。黒人男性のヌードと、リサ・ライオンという肉体派女性パフォーマーのふたつをテーマにした作品が多いが、それは決して、ある種の押し付けがましいイデオロギーを外界に向かってアピールしているようには感じられない。写真家の性的欲望がどちらに沸いているか、という事は、被写体のヌードを撮らずとも薄々伝わってくるものだが、どちらにしても彼が撮る男女の肉体は、セクシーでありながらも淡白で、純粋に美というもの(と言うと陳腐だが)を、一人間を構成する蛋白質と水分に要求しているような緊迫感すらある。 強そうな筋肉体が強そうなポーズを取っていても、それはなぜか儚く、豆腐の様に崩れやすく、永遠には続かないんだ、という風に思えてくるのは自分だけだろうか。理由はなんであれ人間誰しもいつかは朽ち果ててゆく。
「ポジティブ・ライブス・エイジア」という、アジア各国のHIVキャリアを被写体にした写真展が今年一杯国内で開かれていて、春夏にちょこっとお手伝い(今は忙しくなってやめてしまった・・フガイない)していたが、被写体の一人であった長谷川さん(JaNP+ 代表←クリック)というアクティビストおじさんを知る機会があった。そしてふた月ほど前に2丁目のクラブの入り口で再会したが、その時笑顔でハグしてくれたのが非常に印象的だった。ハグなんて、日本でされたことないです。ちょっとしか会った事ないぼくの事なんてたぶんもう忘れてただろうけども、やっぱりそういう日常の小さい事の中で、幸せなくらしって何だろうみたいなキッカケを与えてくれる人は確実にいる。今までの、自分の経験であれ友達を振り返ってみて、思い出に耽る事が多い「過去振り向き型」の自分だが、やっぱり友達や出会いは大切だと思った。 理由はなんであれ人間誰しもいつかは朽ち果ててゆくのだから、攻めの姿勢で生きたいものだ。
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