インタビューを編集してて気づくことがある。それはやってる側の感覚と録画された映像の感覚が随分違うということだ。「あっ、失敗したなあ」って思ったインタビューでも再生してみると案外そうでもなかったする。反対に「今日はバッチリだな」って思ったインタビューがしゃべりすぎだったりすることもある。これは喋る側に立ってみないとわからないことだった。ディレクター時代には見えなかったことと言っても過言ではない。
物事の対極性がここにも存在するんだね。
放送に当てはめてみると、例えば番組をつくる側と受けとる側の認識のズレ。最近はどうもつくり手の論理ばかりが先行しているような気がしてならないんだよ。インタビューなんかを例にとってみると、本当に聞きたいことを聞いているんだろうか?と疑問にさえ思えてくる。心の底から湧き上がってくる欲求が存在しないインタビューにリアリティなんてあるわけがない。リアリティがなけりゃ伝わるはずがないと思うんだけどねえ。
要は「熱」が必要なんだ。そう、「熱」だよ。「熱」って本気じゃなきゃ出てこないものでしょ。本気じゃなきゃ「感動」なんて生まれないよ。
おそらく、すべてがシステム化しちゃってるんだよね。こうしなきゃいけないという呪縛。これじゃあ楽しめないよねえ。
俺・・・?俺は楽しいよ(笑)。
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