セクサロイドは眠らない
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2007年02月12日(月) |
私は、仕方がなく、彼に頼んで寝てもらった。体の関係がないことに不自然さを感じて、自分から言わずにはおれなかったのだ。 |
悩みの種というのは、ひとつ解決したら、またひとつできるもののようだ。心に悩みの「空き」ができたために、そこに入り込んでくるように。
男と別れた。家庭持ちのくせに、随分と長く付きまとってくれた。29の女にとって、それはとても辛いことだった。新しい彼女ができた、と嬉しそうに伝えて来た電話が最後だった。
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「ミサトさん、ちょっと最近痩せたんじゃないですか?」 もう随分と長く通っているスポーツジムの、若いバイトの子が訊いてきた。
「そうかもね。ここのサーキットメニューがいいからじゃない?」 「んー。なんか、元気ないみたいだから。」 「やだ。やつれたって言いたいの?」
私は、笑いながら、無理やり体を痛めつけるようにストレッチをする。
広告の仕事で独立して、三年が経った。生活は楽ではなかった。友達と会えばお金がかかるから、暇さえあればジムに通っていた。
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高橋という男に食事に誘われたのは、男と別れて三週間ほど経った頃だった。顔はよく知っていた。彼も随分長く、同じジムに通っていたから。歳は40代半ばか。眼鏡のフレームを見るだけで、かなり生活に余裕があると分かる。暇に任せてジム通いをしている私と違って、計画的に体を鍛え上げている様子からしても、自らをコントロールするのが好きなタイプかもしれない。
迷う私に、礼儀正しく告げる。 「無理にとは言いませんから。ただ、ちょっと、元気がないように見えたので。」
普段なら、きっと断っていただろう。ただ、その日は本当に落ち込んでいた。 「じゃあ、ちょっとだけ。でも、こんな格好だから、カジュアルなお店しか無理だけど。」 「いいですよ。僕の車で行きましょう。」
外に出て、 「あ。自転車・・・。」 とつぶやくと、車に積めますよ、と言いながら車の方を指す。ベンツのGクラス。ピカピカした黒い車体は、私が今まで乗った車のどれよりも大きかった。
当たり障りのない会話。私は、値踏みする。歯はきれいだ。もちろん、体型も合格。かなり余裕のある生活をしていそうだ。時計は、ブルガリ。黒のフェイスに、金のライン。ここいらでは売ってないタイプなんで神戸まで買いに行ったとか何とか。時計のことは分からないが、ただ、彼がそんなものにお金を使えるぐらいの余裕があることは分かる。
お金があるせいで少し鼻につくところはあるが、清潔で気持ちが良い。
ワインが回って来た。 「でも、よく、元気がないって分かりましたね。」 「そりゃ、いつもジムで見てますから。最近、少しやけになっているみたいだったけど、特に今日は元気がなかったように見えたんです。」 「ひとつ仕事が減っちゃって。クライアントさんが、予算の都合で一件断って来たんです。あの。広告の仕事してるんですけど。」 「広告?じゃあ、ちょっとしたパンフレットとか、作ったりできますか?」 「ええ。」 「僕の知人で、バーテンダー協会の理事長をしている男がいましてね。そこの広報関係やってくれる人を探してたんですけど。良かったら、今度会っていただけませんか?」 「ええ。もちろん。」
私は、すっかり上機嫌になり、ワインを飲み過ぎた。
高橋に支えられて、部屋の入り口まで戻って来た時には、あやうく自分から誘いそうになっていた。が、男は礼儀正しく私に「さよなら」を言うと、振り返りもせずに去って行った。
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高橋と寝たのは、それから三ヶ月も後だった。彼から誘わなかったのもあるし、私も、彼とセックスしたいとは思えなかった。
彼は、私に何も要求しなかった。
彼は、ただ、私に仕事を回してくれ、ご飯を食べさせてくれた。
私は、仕方がなく、彼に頼んで寝てもらった。体の関係がないことに不自然さを感じて、自分から言わずにはおれなかったのだ。長い時間、手と口で、ようやく彼のものを使えるようにして、私は、自ら動いて彼を対岸まで連れて行った。彼はその間ずっと、無言だった。
そのまま静かに眠ってしまった彼の背中を見て、少し泣いた。
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「なんで私と付き合っているの?」「なんで何も要求しないの?」
なんで、なんで。訊きたがっている私は、すっかり彼に振り回されていた。別れたいと言えば、彼は簡単に別れてくれるだろう。その時、失うもののことを考えると、怖くて、身動きが取れなかった。
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ある日。
私は耐えられなくなった。
以前の私は、お金はなかったけれど、もっと笑っていた。
馬鹿な男と付き合っていたけれど、セックスをした後は心が満たされていた。
「もう、会いたくない。」 「分かった。」
想像通り、高橋は何も言わなかった。
スポーツジムも辞めた。高橋が、また、似たような女の子を拾うところに居合わせたくなかったのだ。
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夕方の時間をもてあまして、久しぶりに近所のグリーンショップに立ち寄った。親子でやっている店。
「あ。ミサトちゃん。久しぶりだね。」 店長の息子のサトシが、笑顔で声をかけてくれた。
「ん。なんかね。忙しかったんだ。今日も見るだけ。今月、苦しいんだ。」 「そっか。あ。これ。あげるよ。ミリオンスターって花。すごく可愛いだろ。ミサトちゃんが来たらあげようって思ってたんだ。」 「ありがと。でも貰うわけにはいかないよ。」 「いいんだよ。花はね。似合う人にもらってもらうのが一番いいんだ。この花って、ミサトちゃんに似合うなーってずっと思ってたからさ。」 「そっか・・・。いつもありがとね・・・。」
なぜか涙が出て来た。夏はホオズキ、冬はポインセチア。サトシはいつも、私に、無造作に花をくれてたっけ。あんまりにも無造作だったから、何かを貰っていることさえ気づいてなかった。
「こら。サトシ。ミサトちゃん、泣かすんじゃないよ。」 奥から店長が出て来た。
「サトシのやつ、ミサトちゃんが最近来ないからってね。ずーっと心配してたんですよ。たまには寄ってくださいね。」
私は、黙ってうなずいて、もらったばかりの鉢を抱えて帰る。ピンクの、星の形をした愛らしい花。
悩みが去って、心に空いた空間には、喜びも入ってくるかもしれない。どっちが入るかは、私次第。そんなことを思いながら。
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