セクサロイドは眠らない

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2004年11月28日(日) クリスマスの雰囲気に包まれた街を、悲しい気分で歩く。いつからだろう。クリスマスがちっとも嬉しくなくなったのは。

クリスマスの雰囲気に包まれた街を、悲しい気分で歩く。いつからだろう。クリスマスがちっとも嬉しくなくなったのは。二重にも三重にも悲しいことが重なって、けれども、部屋に帰るのも嫌で。街をフラフラとさまよう。

「どう?お嬢さん。時計。彼氏とペアで。」
そんな声に振り向いたのは、あまりにも寂しくて、誰かとしゃべりたかったから。

「見せて頂戴。」
私は、しゃがんで、その老人が差し出してくる時計を手に取った。

何の特徴もない、その時計。要らない、と、突き返してしまおうと思ったのに。老人が、私の手にそれを巻いてくる。
「ね。ぴったりだ。彼氏にもプレゼントするといいよ。」
「幾ら?」
「お金は幾らでも。あんたの手持ちでいいさ。」

私は、何となく興味を惹かれて、財布から三千円ほど取り出す。

「それでいい。充分だよ。じゃあね。いいクリスマスを。」

私は、もう一個の時計も手渡されて、立ち上がる。いつの間にか、雪がチラついている。

今、何時かしら?と思い、早速、腕時計を覗くけれど。
「やだ。これ、止まってるじゃない?」

振り返るが、もう、老人はいない。

--

馬鹿な買い物をさせられたと、腹が立ったが、電車の時間が迫っていると気付き、慌ててそのまま駅に走り込む。

部屋について、肩の雪を払い、ふと、クローゼットの鏡を覗き込む。走って頬が紅潮しているせいか、思った以上に活き活きとした顔がそこにあった。

思わず、手鏡でよくよく顔を見る。

いつもと違うのは、目の下の隈だ。いつも、夕刻になるとひどくなる黒ずみが、今日は見当たらない。

「うそ?」
私は、思わず、手鏡に見入る。目尻の皺も、今日は気にならない。

「なんで?なんでー?」
と、声に出し、ふと気付いて、腕時計に目をやる。

まさかね。

腕時計を外すと、急に疲れが体を包む。

え?本当に?

腕時計を巻く。

やっぱり。

この腕時計ね。魔法だわ。

私は、その晩、腕時計をしたまま眠りに就く。

--

昨日、病室の外ですれ違った時、彼女は泣いていた。彼の一番大切な人。何年も何年も恋焦がれて来た彼の心を、一瞬にして奪っていった女。私は、ただ職場の同僚として見舞うことしか許されない。

病室の中で、彼が疲れた顔で私を見た。
「ミユキさん、泣いてたわ。」
「ああ・・・。」

彼も、目を赤くしていた。

何も言えず、ただ、持って来た果物を置く。

「外は寒くなったわ。」
「・・・。」
「いっそ、春まで入院していたほうがいいんじゃないかしら?あなた、働き過ぎだったもの。」
「・・・。」
「課長もね。ゆっくりしてもらったほうがいいって。無理させ過ぎたって。」
「・・・なあ。」
「何?」
「ミユキのこと、頼んでいいかな。」
「どんなこと?」
「俺さ・・・。もう、長くないらしい。」
「え?なんで?」
「親父も癌だったけどさあ。この若さで、俺までって。自分でも、まだ信じられないんだよ。まだ、やりたいことあったのに。仕事だってさあ。来年からのプロジェクト、俺じゃなきゃって。ずっと思ってたんだよ。」

彼は、もう、何も言えずに黙り込む。大きな熱い塊りを必死で飲み込んでいるのだ。

私も、それ以上、何も言えずに黙っていた。

--

「マチダさん、最近、何かしてるんですか?すっごい、肌綺麗ですけど。」
「うふふ。そう?」
「ええ。ほんと。ピカピカって感じ。そんな肌って、私、10代の頃にお別れしちゃいましたよ。」
「まあ、いろいろやってるから。」
「どこかいいエステあったら教えてくださいよ。」
「そんなんじゃないの。自己流よ。」
「えー?それでそんなって、信じられない。」

後輩の女性の間でも噂になっているらしい。腕時計のせいだ。時が止まる。いや。過去に戻せば、私の肉体は、若返ることさえ可能だ。

--

土曜日になり、再び彼の病室を訪ねた。随分と痩せたようだ。

「ああ。お前か・・・。」
「ミユキちゃんは?」
「来るなって言ってある。」
「どうして?」
「こんな姿、見せられないよ。」
「ねえ。あの・・・さあ・・・。」
「何?」
「もし、命が助かるなら、ミユキちゃんと別れられる?」
「お前さあ、何言ってんだよ。人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ。」
「怒らないで。私・・・。あなたを救えるかも。」

バッグから、あの腕時計を取り出す。

「腕、貸して。」

彼は無言で腕を差し出す。

彼の細くなった腕を取りながら、私は言う。
「ねえ。私ね。最近、変わったと思わない?お肌とか。」
「ああ・・・。ちょっと若返ったみたいだな。」
「ねえ。どう?この時計。」
「うん・・・。」

彼の青白い顔に、少し赤味が差し始めた。

「何だよ?一体、何したんだよ?」
「これは、魔法なの。」
「説明してくれよ。」
「無理よ。私にも、説明できないわ。でも、分かるのは、これがあれば、あなたの病気はもう進行しないってこと。」
「分からないよ。そんなの、信じられるかよ。」
「ねえ。お願い。この時計をして。」
「それとミユキと、どう関係があるんだよ?」
「この時計をあげるから、私と結婚して。」

彼は、私の顔を無言で見た。

長い長い時間。

私は、彼の体内に、また気力が満ちてくるのを感じる。

一緒に仕事をしていた頃の、あのエネルギッシュな彼が戻ってくるのを。

「ああ。分かった。」
かすれた声が、そうつぶやいた。

--

彼との新婚旅行は、新しいプロジェクトチームの発足のせいで延期となった。それでも私は幸福だった。彼の一番の理解者である私が、彼の忙しい日々を支えられることが何よりの幸せだった。

遅く帰って来ても、彼は疲れた顔一つ見せない。それどころか、深夜まで、更に仕事を続けることもある。

食卓でも、仕事の話ばかり。

それでも、嬉しかった。

彼が、何かに憑かれたように仕事をすることの意味を理解しないまま、私は、彼の顔を見ているだけで幸福だった。

--

子供ができないと分かったのは、三年目だった。お互いに体には異常がないと分かっていて。だが、一向に妊娠の気配は見られない。

仕事を辞め主婦となった私は、愛する人の子供が欲しかった。

その日も遅く帰って来た彼に、私は、つい、そのことを口にした。
「今月も、また駄目だったの。ねえ。一緒に、不妊治療に通ってくれない?」

その日、彼は酔っていた。
「子供?そんなものが、欲しいのか?」
「ええ。そうよ。あなたは要らないの?」
「ああ。要らない。」
「どうして?」
「どうしてって?こんなもの、間違ってるからさ。何もかも。きみも、僕も、歳を取らない。こんな僕らが、子供を作れるわけがないだろう?」
「ねえ。何を怒ってるの?」
「きみは、幸福なのか?」
「ええ。あなたは違うの?」
「不幸だ。」
「どうして?」
「あの日。何もかも捨てたからだ。」
「何もかもって・・・。あなたが選んだことじゃない。」
「間違いだったのさ。」
「どうして今更・・・。」
「とっくに気付いてたんだ。同僚が、少しずつ歳を取り、子供を育て、老いた両親を世話する。そんな姿を見て、ね。自分がおかしいってことに気付いた。」
「みんな不幸だわ。老いて行くこと。仕事もろくにできないまま、会社にしがみついてること。そんなことから解放されたのよ。あなたは。」
「違う。違う。違う。」

彼は、そう叫ぶと、腕から時計をむしり取る。何年経っても、傷一つつかない時計。針の動かない、その時計。

途端にがっくりと、彼は膝をつく。彼は急に痩せこけ、もう、自分で自分の体が支えられない。

「僕らの三年間は、何もなかった。愛を手放した日々は、空っぽだった。これ以上は耐えられない。」
それが、彼の最後の言葉だった。


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