セクサロイドは眠らない

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2004年09月15日(水) そんな言葉に、私は却って彼女を気に掛けるようになった。会いたいとすら思うようになった。

一ヶ月ほど前から電話の仕事をしている。待っていれば電話がかかってくるから、受話器を取って相手の話を聞いてやればいい。電話をかけてくるのは女性ばかりだ。

仕事の指示はいい加減だった。

そもそも、仕事を持ちかけて来た男からしていい加減なのだ。あなたの回りにも一人はいるだろう。ひっきりなしに携帯電話で話をしている。声が大きくて、タフで、会えばいつだって自分のことを親友のようにもてなしてくれる。「また電話するよ」といつも別れ際には言うくせに、いつだって電話してこない。こちらが1話す間に相手が9話している。おまけに話す内容はこちらにはさっぱり分からないのに、あたかもこちらまでが事情通であるかのように相槌を打たされる。そんな男。

彼が持っている仕事の口は、いつも怪しい内容で。楽だとか、大もうけできるとか。そんなふれ込みの仕事ばかりだった。私は、こう見えてもそれなりの企業に勤めていたので、そんな男の話は話半分に聞き流していた。

だが、一ヶ月前、事情は違っていた。私は会社を追われ、再就職もままならず毎日ぶらぶらしていたのだ。今思い出しても腹が立つ。私は巧妙な手段で会社を追われたのだ。いつの間にか、私は自分から辞表を書くと宣言させられていた。大学を出てから、一心不乱に働いていたのに。

そんな私は、彼と出会った。彼は、私を見るなり、「どうした。元気がないな」と言った。いつもは、彼の大袈裟なしゃべり方が嫌いだったので、彼とは10分以上は一緒にいないようにしていたのだが、その時は違った。彼の顔を見るなり、つい本音が出てしまった。
「会社を辞めたんだよ。あいつらにハメられた。」

彼は、真剣な表情でうなずき、私の肩を抱いて気持ちのいい店に連れて行ってくれた。少し強い酒を飲ませてくれ、最後は泣きながらしゃべる私の話を最後まで聞いてくれた。

すっかり落ち着くまで、男は黙って私のそばにいてくれた。

いつものようなおしゃべりは一切なかった。

聞いてくれた人がいるということが大事だったのだ。若い頃の何度かの浮気で妻が愛想を尽かして出て行った後、私は誰かに弱音を吐くということもせず、一人で楽しく生きていると思い込んでいた。

私が黙り込んだのを見て、男は微笑んで言った。
「きみとはやっと本当の友達になれた気がするよ。」

私もうなずいた。

こんな時、相手の腹を探らずに、ただ、受け入れられていると感じながら話をすることができるなんてこと、そうそうあるものじゃない。目の前の相手は、確かに掴み所のない相手だった。だが、彼ならこんな修羅場、いくらだってくぐってきただろう。

「さて。今のきみに一番必要なものは仕事だ。」
男は言った。

私は、
「そうだな。」
と返事した。

それから携帯電話を取り出し、
「例の仕事。やってくれそうな奴を見つけたんだ。ああ。そうだ。適任だ。彼しかいない。」
とだけ言って、電話を切った。

そこで初めて、私は、いつもひっきりなしに鳴っている男の携帯が、今日この店では全く鳴らなかったことに気付いた。

「手伝って欲しい仕事があるんだ。」
と、男は言った。

「ああ。手伝うとも。」
私は答えた。

あの状況で、誰が断ることができただろう。

--

仕事は難しくなかった。女性から電話がかかって来る。知らぬ間に私の自宅の電話番号は多くの知らない人に知らされてしまっているらしい。が、どうでもいい、個人情報云々などと固い事を言う気持ちにはなれない。彼女達は、電話の向こうの誰かとしきりに話したがっている。昼間に電話してくる女性が多いところを見ると、退屈な専業主婦が多いのかもしれない。

私は、ただ、電話に向かって適当に相槌を打つだけでいい。仕事をしたくない時は、電話のジャックを抜いてしまえばいい。

会いたい、と言ってくる女性もかなりいる。それについても、私は何も制限を受けていないので、会いたければ会えばいいのだが、そこは自分なりにルールを決めて、会わない、とした。

金は振り込まれる。経費がかかるようなら、領収書を取っておいて指示されたところに送ればいい。もっとも、経費が何にかかるか想像もできないのだが。

私は、午前中はスポーツジムに通い、午後は電話相手をして過ごした。最初はぎこちなかったが、だんだんと慣れてくると、上手くしゃべれるようになった。相手は私のことを知らない。だが、確実に求められている。そう思うと、気分良く話を聞くことができた。

現実は冴えない中年男だ。だが、女性の心を掴むコツみたいなものが分かったため、ジムで知り合った女性を口説いて彼女の部屋に上がり込むことにも成功した。

これが今、本当に私が望んでいる状態かどうか。分からなかったが、かつての自分の人生がとてもつまらないことのようにも思えて来た。

--

実を言うと、いつも電話をかけてくる女で、一人だけとても気になる女がいる。ほとんどの女が、自分のことばかり一方的に話すのに比べて、彼女の電話は大概、私を気遣うところから始まる。

「お邪魔じゃなかったかしら?」
「私のこと、面倒になったら言ってね。ついついあなたに甘えちゃって。」

そんな言葉に、私は却って彼女を気に掛けるようになった。会いたいとすら思うようになった。冗談半分に、会おうかと持ちかけたこともある。

彼女は慌てて、
「そんな。無理です。私なんか、みっともないし。」

だが、その後の電話では、彼女の声が明らかに艶めいて来るのを感じた。

やんわりと拒絶されてしまったために、しばらくは我慢していたものの、やはり彼女に会いたい。話をしていれば、彼女が独身であること、恋人もいないことは分かった。

--

勇気を出してもう一度誘おう。

固く決心をした晩のことだ。

夜、ジムで知り合った女の元を訪ねた帰り、私は、あの男に会った。今の仕事を紹介してくれた、あの男だ。まるで、私が通りかかるのを待っていたかのように、両手を広げて私の行く手に立っていた。

なぜだろう。

あの晩、私は、彼に心を許した。だが、今、彼の笑顔にはひどく心を乱される。できれば会いたくなかった。

多分、それは、彼のニヤニヤ笑い。必要な時は、心温まる笑顔。そして今は、冷酷な笑い。

もう、知り合ってから10年が経とうかというのに、私はその男の名前すら分からない。

「やあ。久しぶりだね。」
「ああ・・・。」
「こんなところで会えて嬉しいよ。」
「僕もさ。それに、仕事を紹介してくれたお陰でとても助かっている。」
「そうかい。そりゃ良かった。」
「ああ。きみの仕事をすることで、僕にも全く違う人生があることが分かったんだ。」
「いや。実はそのことでさ。ちょっと話がしたくて。」

不吉な予感は的中する。

彼は、僕を、今度はとても薄暗いバーに連れて行った。

「なんだよ。」
「ああ。仕事なんだがね。」
「ああ。」
「あれ、もう明日からはいいんだ。」
「え?どういうことだよ。」
「だからさ。もうきみはお払い箱ってわけさ。」
「そんな・・・。急に言われても。」
「大丈夫だろう?当分食べるに困らないだけの蓄えはあるはずだ。」

こいつ、私の口座の内容を把握してやがる。

「じゃあ、そういうことで。」
男は伝票の上に紙幣を置いて立ち上がった。

「ちょっと待ってくれよ!」
「もともと、降ってわいたような仕事だろ?いつまでも続くと思ってたのかい?」
「そりゃそうだけど。第一、あんたと今日会ってなかったらどうだったんだよ?」
「いや。俺ときみは会うことになってたんだ。」

私は、彼女のことを考えていた。あの電話の向こうの彼女。もう会えないのか。せめてもう一日。そうでなかったら彼女もひどく悲しむだろう。

「頼む。あと一日だけ。」

私は、土下座さえしかねない勢いだった。

「女か。」
男はニヤリと笑った。

「ああ・・・。」
力なく答えた。

「知りたい電話番号は全部俺が持ってる。」
「どうすれば教えてくれる?」
「違う仕事をする気があるか?」
「どんな?」
「このリストを使ってだよ。少々荒っぽい仕事さ。あんたにできるかなあ?」
「できるさ。できるとも。」

私は叫んでいた。

女のために。

もう引き返せないのだ。


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