セクサロイドは眠らない

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2004年01月15日(木) 昔の恋人は、変わっていた。ずっとずっと大人になって。セックスも、ちゃんと相手を気遣える大人になっていた。

私の夫はウサギだ。

そういうと、驚かれることも多いが、私達は普通に恋愛して結婚した。

妹に言わせると、「信じられない!」というのだ。夫がウサギであることが、ではない。信じられないのは、私達夫婦の会話の量ということらしい。

「信じられない!」
「あら。どうして?」
「だって。あたしなんか、彼とはずっとしゃべってるよ。お互いに秘密を持つのはなしにしようねって、何でも言い合う事にしてるの。」
「何でも?それって、疲れない?」
「疲れないよ。それにさ。あたしといない間、彼が何やってるか知らないほうが気になって疲れるもの。」

もちろん、全く会話がないわけではない。夫はとても頭がいいウサギだから、人間の言葉をしゃべる事だってできる。ただ、ウサギの声帯は、あまり人間の言葉を話すのにむいていない。それも理由の一つだ。言葉を交わさなくても大概の事は伝わるし、必要があれば、会話もする。

恋愛中からそうだった。何も、世の恋人の全てが、一晩中愛を語り合わなくてはいけないわけじゃない。それでも、お互いに伝え合う事、伝わる事は沢山あった。

--

夫は、婦人科医として、多くのウサギに出産や育児の指導をしている。人間に飼われているウサギの中にも、まだ、うまく子供が産めなかったり、産んだ子供の世話が出来なくて死なせてしまっていたりするケースが多い。夫はそれを憂いている。

「狭い部屋の中でさ。産んだばかりの我が子を踏んで死なせてしまう事があるんだ。」
と、夫は悲しそうに言った。

そして、今日も、妊娠しているウサギの元に出掛けて行く。

彼の稼ぎでは食べていけないので、私はパートに出ている。データ入力の仕事は、目も疲れるし、肩も凝る。それでも、合間の同僚達とのおしゃべりは、私にとっては丁度いい息抜きの時間であった。

「ねえ。あなたの旦那様。ウサギなんですって?」
好奇心の強い女性が訊ねてくる。

「ええ。そうよ。」
「どんな感じなの?」
「どんなって。普通よ。」
「会話とか、困らない?」
「時々困ることもあるけど。アメリカやフランスの人と結婚したって、同じよ。言葉が通じるとか、通じないとか。そういう事は乗り越えられるものなのよ。」
「ふうん。」
「なあに?」

そこで、私はピンと来る。あのことが訊きたいのだ。

「同じよ。本当に。夜も。」
「あら。」
「大概の事は乗り越えられるものよ。お互いの体の違いをちゃんと知れば、上手くいくようになるの。」
「で?満足?」
「ええ。満足よ。」

それ以上、そんな話をしたくはなかったので、私はマグカップを持って会話の輪からはずれた。

私は、それから、夫の昨夜の愛撫を思い出す。彼の毛皮や髭を使った、とても優しい愛撫。

最初の夜、言ったっけ。
「私でもいいの?」
って。

そしたら、
「きみがいいんだ。」
って言ってくれた。

そんな大切な思い出の一つ一つを、誰かに好奇の眼差しで見られたくなかったから。

--

静かな夫婦。

休日も、多くのことは無言で行われる。

不便はない。あるいは、不便な事も彼となら楽しめる。

彼の赤い綺麗な瞳が、私は大好きだ。

--

それでも、そんな生活の中に、小さな隙間が出来ていたのかもしれない。

ある日、パートの帰りに偶然出会った高校時代の恋人と出会った。

「今、どうしてるの?」
「結婚してるわ。夫はウサギなの。」
「ウサギ?」
「ええ。そうよ。」
「で?幸せなのかい?」
「幸せよ。」

彼は、カフェを出て、自然に私の手を握って来た。私はそれを振りほどかなかった。

別れ際に、次に会う約束をしてしまったのがどうしてか。自分でも分からない。

--

車で迎えに来た昔の恋人は、あの頃より随分と大人になっていた。

黙ってラブホテルに車を乗り入れる彼の横で、私はうつむいていた。

「いい?」
少し心配気に訊いて来る彼に、私は黙ってうなずいた。

どうして?夫と幸福ではなかったの?

私は、部屋に入り、昔の恋人と抱き合っている間、ずっとそんな事を。

「ねえ。嬉しいよ。きみとまた会えて。」
昔の恋人がささやく。

私は、黙って微笑んで。何も言わずに、彼の肩にしがみついているだけだった。

昔の恋人は、変わっていた。ずっとずっと大人になって。セックスも、ちゃんと相手を気遣える大人になっていた。

「ねえ。何か言ってよ。」
汗ばんだ彼の胸が、そう言った。

それでも、私は黙っていた。

--

会ったのは、三度。

三度目の別れ際、私は次の約束はしなかった。

「僕じゃ、駄目だったんだね。」
彼は寂しそうに言った。

「僕なら、きみの旦那よりきみを幸せにしてやれるってさ。ウサギなんかには負けないって。最初にそう思ったんだ。きみは、何かが足らない顔をしていたし、僕の誘いに付いて来た。だから。勘違いしてた。ずっと。」
「ごめんね。」
「いいよ。楽しかった。きみと会えて良かったよ。駄目だろうとは思ってたんだ。ずっと無言だったろう?だから、つまんないんだなってさ。焦ってた。やっぱり駄目だったんだよね。」
「・・・。」
「最後にもう一回訊くけどさ。きみ、幸せ?」
「ええ。とても。」
「そうか。」

また電話したくなったら、いつでもしておいで。僕は、番号を変えずに待っておくから。

昔の恋人はそう言って車で去って行った。

ごめんなさい。私。あなたで埋めようとした。寂しさを。だけど、夫としゃべるより多く、あなたとしゃべる事はどうしてもできなかったわ。なぜか分からないけど、そうすることは夫をすごく傷つけることになるから。

--

「出掛けてたのか。」
夫が珍しく早く帰っていた。

「ええ。」
「今日は、早く仕事を終わったからさ。きみとゆっくりできると思って。」
「嬉しい。」

私は、夫の赤く美しい目を、正面から見つめた。

夫が話し掛けて来る事は滅多にない。だから、嬉しかった。

その夜は、ワインを三本くらい空けて。夫は、ウサギ語とも人間語ともつかない言葉をしゃべって笑っていた。

それから、ベッドに倒れこんで。

夫は、私の顔を引き寄せ、自分のフカフカの胸に当てた。
「鼓動が聞こえる?」
「ええ。」
「きみと会って、毎日こうだ。今でも、ドキドキしてる。」
「私、嫉妬してたわ。ウサギの言葉でしゃべるあなた。仕事先では、多くのウサギを相手にしているでしょう?」
「そうか。」
「馬鹿みたいねえ。」
「僕も。たまに、きみが楽しくしゃべっているところを見て、まぶしく思う事はあるよ。」
「でも、それが、一番大きな事ってわけじゃないわよね。」
「うん。」

夫は、珍しく沢山しゃべって疲れたのか。あるいは、ワインを飲み過ぎたのか。あくびを一つして眠ってしまった。

私は、夫の規則正しい心臓の鼓動をずっと聞いていた。言葉より多くが伝わって来た。


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