セクサロイドは眠らない

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2003年05月21日(水) 彼女の恋人は、体中に鍵穴のある男だった。顔から、腕から、足の裏まで、体中に鍵穴があった。

彼女の恋人は、体中に鍵穴のある男だった。顔から、腕から、足の裏まで、体中に鍵穴があった。彼女は、恋人の全てが好きだった。彼に抱かれた後、その鍵穴のくぼみに指を滑らせるのが好きだった。まとまった休みが取れた時など、彼とずっと二人きりで過ごす時間が長いと、彼女は、むしろ自分のほうが変なのではと、その、自分の体に開いた穴の少なさが恥ずかしくなるぐらいだった。それぐらいに、彼の体の鍵穴は自然に存在していたのだった。

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恋人との出会いは、夕暮れの街角だった。その当時付き合っていた男が他の女と歩いているところを見かけ、ショックのあまり路上にしゃがみこんでいたのだ。彼女の目の前に鍵が差し出され、彼女は、黙ってそれを受け取った。鍵を差し出してきた男は更に、手のひらを上に向けて彼女に差し出した。そこには、その鍵がぴったりと合う鍵穴があった。彼女は、そっと鍵を差し込んだ。鍵がカチリと音を立てて開いた。彼の手の平を開くと、そこには野原一面の花が咲いていた。甘い香りが立ち込めていて、彼女は思わず手を伸ばした。

「どれでもあげるよ。」
男のやさしい声がした。

彼女は、そっとそこにある花を手に取ると、それは花びら色のキャンディだった。

彼女は、クスリと笑った。子供じゃあるまいし。キャンディぐらいで機嫌を直してたまるもんですか。

だが、男のその気遣いが嬉しくて。彼女は笑いながらくしゃくしゃの顔をして泣いた。

男と彼女は、その日から同じ部屋に帰るようになった。

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男は体のあちらこちらの鍵穴を開けてみせる事で彼女を喜ばせた。男が持って来た持ち物の中に鍵の束があった。

「全部あるの?」
「当たり前だよ。この鍵穴は僕が僕自身に作ったものだからね。」

男は鍵束の中から鍵を一つ取り出すと、右肩にある鍵穴を開けた。そうして、そこから花束を取り出した。

「すごい・・・。」

中を覗くと、ワインとグラスもあった。

「途中で買っておいたんだ。まさか、僕が魔法使いだと思わないでくれよ。」
「分かってるわ。でも、素敵。今、あなたと会えた事に乾杯したい気持ちで一杯なんですもの。」

男は、彼女を抱き締めた。彼女は、その鍵穴のひんやりした感触にうっとりと目を閉じた。

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二人の生活が始まってしばらくして、ある夜、彼女は夜中に目を覚ました。

男は隣でかすかなイビキをかいて寝ている。その広い胸に乗せた腕を、彼女はそっとはずして、ベッドから起き上がった。男は、一度寝ると朝まで目を覚まさない事を、彼女は知っていた。

彼女はベッドから降りると、男の机の中を捜し、鍵束を取り出した。彼女は、男の体に、鍵の一つをそっと差し込んだ。男が目を覚まさないかとドキドキしたが、男はピクリとも動かなかった。彼女は安心して、鍵を回し、男の体を開けた。そこには、暖かそうなブランケットにくるまる男の子が見えた。男自身の子供の頃だろう。まだ、体には一つの鍵もなかった。が、その代わり、体のあちこちに傷があった。男の子は、汚れたブランケットの中で丸まっていて、彼女はその頭をそっと撫でた。

次の鍵を開けると、そこにはウェディングドレスが広げられていた。彼女は思わず声を上げた。それは、彼女への贈り物だろうか?それともかつて、男が愛した女のために用意したものだろうか?

彼女は嫉妬で少し震える指で、次の鍵を。

そうして、夢中で幾つかの鍵を開けていった。空が白み始めると、彼女は慌てて鍵束を元に戻し、男の隣に少し冷えてしまった体を滑り込ませた。

気がつくと、男が笑って立っていた。

「私・・・。」
「随分よく寝てたね。」
「え、ええ。」
「おいで。朝食の支度をしてるから。」
「ありがとう。」

彼女は、すっかり寝坊してしまったのを恥じた。

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彼女は、男の体の鍵穴という鍵穴を開けなければ気が済まなくなっていた。男が眠りに就くのを見計らっては、鍵束を取りに行き、そうして、一つ一つ開けていった。鍵は全部で999あったから。ちょっとやそっとでは終わらなかった。だが、彼女はとうとう999個目の鍵を開けてしまった。

だが、鍵穴はもう一つあった。鍵穴の数は1000だったのだ。男の心臓の場所にある、その鍵穴に合う鍵だけがなかった。

「ここに合う鍵はどこにあるのかしら。」
それが気になって、彼女はまた、朝まで眠れない。

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ある日、男は、「仕事を休む。」と言った。

「どうなさったの?」
「たまにはきみとゆっくり話したいと思ってね。」
「珍しいわね。」

彼女は、なぜか胸騒ぎを覚えながら男の向かいに座った。

男は無言で、一つの鍵を彼女の前に置いた。

「これは・・・?」
「僕の鍵さ。ここの。」

男は、そっと心臓の上を押さえた。

「知ってたの?」
「もちろん。」
「それで?」
「これを探してたんだろう?」
「ええ。」
「じゃあ、これを君に渡す。」
「開けてもいいの?」
「ああ。」

彼女は震える指で、その鍵をそっとつまんだ。

「その代わり、開けてしまった後の事は、僕には責任が持てない。」
「どういうこと?」
「分からない。ただ、君が僕の全てを見てしまったら、僕はどうなるだろうか?」
「隠し事があるの?」
「そんなのじゃないよ。何も隠していない。ただ、君は、全て開けられて覗かれた僕を、まだ好きでいてくれるだろうか?」
「当たり前じゃない。」

彼女は笑おうとした。

が、なぜか、その唇は奮え、目から涙が溢れて来た。

「さようなら。」
両手で顔を覆う彼女に、男の低い声が、いたわるように響いて来た。

次に顔を上げた時、男はいなくなっていた。

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彼女は、その日から、ただ泣き暮らした。どうして、人は、鍵があれば開けずにいられないのだろう?全部見てしまって、私はどうするつもりだったのだろう?

それから思い出す。小学生の頃、母が勝手に自分の日記を読んだ事に腹を立てて家出したことを。友達のカバンに入っていた手紙をそっと開けてしまって、友達と絶交してしまったことを。人は、誰しも、他人に開けられたくない鍵を持つ。

彼女は、一つだけ残された彼の鍵を宝石箱に仕舞った。

彼女は、自分の体に鍵穴を開けた。彼と同じ。心臓の部分に。その鍵を、彼の心臓の鍵と一緒に宝石箱に仕舞った。

それで少し、気が楽になった。

彼女は外に出た。働いて、ただ、時を過ごした。

幾人かの男と出会った。だが、不思議な事に、男達は、誰一人として彼女の鍵穴に気付かなかった。彼女の乳房を握り締めたら、その指に感じる筈の感触を。誰も気付かなかった。

彼女のほうも、そういう男達の誰一人として、名前も顔も覚えることはなかった。

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三年が経った。

日曜の朝、ドアチャイムが鳴った。

ドアを開けると、男が立っていた。鍵穴が体中にある男だった。彼女は小さな悲鳴のような声を上げながら、男を部屋に招き入れた。

「もう帰って来ないかと。」

男は、返事代わりに鍵を差し出した。彼女は、彼の手の平に、その鍵を差し込んだ。

開けると、キャンディの花が咲いていた。

彼女は笑った。

男は、彼女が受け入れてくれたことを知った。それから、彼女の胸にそっと手を当てた。

「鍵穴、作ったの?」
「ええ。ちょっと待っていて。」

彼女は急いで宝石箱を取って戻って来た。

「あなたにあげる。この鍵。私をいつでも開く事ができるわ。」

男は微笑んでそれを受け取ると、
「海を見に行こうか。」
と言った。

「素敵ね。」
彼女は、差し出された彼の腕を取った。

初夏の海は、素敵だった。

車から降りて、随分と長い事海を黙って眺めていた二人は、どちらともなく宝石箱を手にすると、二人で海に投げ込んだ。

彼の鍵と、彼女の鍵は、あっという間に波に消えた。だが、お互いの鼓動の音は、ちゃんと感じ合う事ができた。


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