セクサロイドは眠らない
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2003年02月24日(月) |
女は、まるで一晩過ごした恋人を見送るように、俺をアパートのドアまで送ってくれた。 |
ミミカキヤ。
そう看板が出ていたのに、初めて気が付いた。
ダンボールの切れ端に下手糞な字で殴り書きのような文字が並んでいた。
その、小学生の劇のセットのようなダンボールなぞ、普段なら見過ごす筈なのに、その日に限って目に留まった。
二日ばかり、仕事を無断で休んだせいで、部長から「今日は家に帰って頭を冷やして来い。」などと言葉を叩きつけられた。もう、何もかも嫌になっていたのだ。
その、ボロアパートのドアをノックした。
「ダレ?」 中から、小さな声が聞こえて来た。
「客だよ。」 俺は答えた。
「ミミカキ、シテアゲルヨ。」 「ああ。頼む。」
ドアは開かれ、中から覗いたのは美しい娘だった。
「コッチ。」 「ああ。」 「ワタシノヒザ、ニ、アタマ。」 「うん。」
その、真っ白な膝小僧がまぶしくて思わず目をしばたかせながら、俺は横になった。
「イタカタラ、イッテネ。」 「うん。」
すぐさま、心地よい感覚の中で、溜め息が漏れる。
「いい気持ちだ。」 「ソウ?」 「ああ。」 「ウレシイ。」 「どこから来た?」 「ペキン。」 「何で、一人で?」 「トウサン、サガシテタ。ダケド、ミツカタノハ、ヨコタサンダッタ。」 「横田?」 「ウン。コノ、アパトミツケテクレタ。ゴハン、クレタ。」 「そうか。」 「ヨコタサン、ミミカキ、ジョウズトイッテクレタ。ダカラ、ショウバイ、シヨウ、オモタ。」 「ふうん。」
細い指が、舞うのを感じる。暖かい息を、感じる。
「サ。ハンタイヨ。」 「ああ・・・。」
身を起こすと、かすかな体臭が俺の鼻の奥をくすぐり、その華奢な体の中にそのまま頭をうずめてしまいたい衝動に駆られ、かろうじて踏みとどまる。
「横田さんってのは、どうした?」 「ヨコタサン、モウ、ゴハンタベサセテクレナイヨ。」 「一人でこんなアパートで商売してちゃ、危ないだろう?」 「オキャクサン、ハジメテヨ。ヨコタサンノツギ、ワタシノミミカキ、ホメテクレタヨ。」 「そうか。」
まだ、俺が二人目か。
おかしな事に、俺は、ほっとしてしまう。
「オワタヨ。」 「ああ。」
その間の時間が、長かったのか。短かったのか。
まるで分からなかった。だが、その魔法の指は、確かに俺の澱んだ心をさっぱりと洗い流してくれた。
「また、来てもいいか?」 「マッテルヨ。」
女は、まるで一晩過ごした恋人を見送るように、俺をアパートのドアまで送ってくれた。
俺は、その女の耳掻きの技巧の虜になった。もちろん、女にも会いたかった。次の日から、来る日も来る日も、女の部屋に通った。お金は、「チョトダケ。イイダケ。」と言うもんだから、余計にいとおしく、金がある時は、二万か、三万、その指に握らせた。
女に耳を掻いてもらうようになってから、俺は、真面目に仕事をするようになっていた。そうして、稼いで、女の許に通う事だけが楽しみになった。遊びの誘いも断るようになった。ゲームやら、麻雀やらも、しなくなった。俺の生活のいろいろなものが、耳垢と一緒にそぎ落とされて行った。
ある晩。
俺は、なけなしの金をはたいて買った指輪を握り締めて女の許を訪ねた。
「マテタヨ。」 「なあ。一緒にならないか?」 「エ?ナニ?」 「俺の耳だけ掻いて、暮らせばいいんだよ。お前はよ。」 「・・・。」 「結婚だよ。結婚しよう。」 「ケコン・・・。」 「そうだよ。」 「ワタシ、イマノママ、ジュウブンヨ。」 「そんな事、言うな。」
俺は、女を抱き締めた。女は、最初は身を硬くしていたが、次第に力を抜き、俺の体に身を委ねた。
俺は、世界に一人しかいない、素晴らしい女を手に入れたのだ。
俺達は、二人だけで指輪を交わし、ある日、女は少ない荷物と一緒に俺の部屋にやって来た。
「ここが今日からお前の家だ。」 「ウレシイ。」 「さあ。耳を掻いておくれ。」 「マタ?ケサモ、ミミカキ、シタヨ。」 「頼むよ。」 「イイヨ。」
女は、なぜか小さな溜め息をついたように見えた。
俺は、女の膝に頭を載せながら、何とはなしに訊ねた。 「横田さんは、なんでお前みたいないい女を捨てちゃったんだろうなあ?」 「ヨコタサン、ステテナイヨ。ヨコタサン、カラポニナチャッタ。ノウミソ、ワタシガ、イツモイツモ、ミミカキシタカラ、カラポニナチャタンダヨ。モウ、ナンニモシャベラナイ。」
女の片言の日本語は、まるで歌うように聞こえた。
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