セクサロイドは眠らない

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2002年08月06日(火) 恥かしがっていたが、次第に、慣れ、そうして、鏡の中の僕らに見せつけるように、足を開いて、微笑んで見せた。

妻が出て行くと言い出したのはあまりにも突然だったので、僕はただ、激昂する以外にできなかった。

「ごめんなさい。」
と、目を潤ませて言う彼女は、僕がいくら責めて理由を問いただしても、何も言わなかった。

彼女は、出て行ってしまった。これまでに身に付けきれないほどに沢山買ってやった宝石も、一部屋全部を埋め尽くすドレスも、何もかも置いたまま。

そして、僕は、途方に暮れる。

--

そこそこ成功したほうだと思う。

二十代で父の会社を継いでからも、父が築いた評価に甘えることなく、会社を更に成長させて来た。子供こそいなかったが、妻を寂しがらせないよう、年に二回は海外旅行に連れて行ってやった。もちろん、多少の浮気はしたが、妻を悲しませるようなやり方はしていない筈だ。

妻だって、今の生活に満足していた筈だ。友人とのランチや旅行を楽しんでいたようだし。なぜ、そんな生活を手放す必要があったのだろう?

「好きな男ができたのか?」
と、問うた。

妻は、黙って首を振った。

だが、その目は、恋する乙女のように濡れていた。

「男だな。」
僕は、妻に言ったが、妻はもう、僕の目を見ていなかった。

--

何が原因か、考えても考えても、分からなかった。

先週末、ハワイに住む姪の結婚式に行った時にも、何も変わった素振りは見せていなかったから。

結婚式が終わった後、他の親族が日本に帰国した後も、私は妻とハワイにしばらく残った。今年は、毎年連れて行く旅行のための時間が取れそうになかったので、ついでに済ませてしまおうと言うわけだ。

そこで、泊まっているホテルに、宿泊の延長を頼んだのだが、これが手違いで、私と妻は同室になってしまった。

夫婦だから、同室は当たり前なのだと思われるだろうが、私と妻は、旅行の時はいつも別室で寝起きしていたので、これには実に困ってしまった。妻は神経質で、夜、誰かと同じ部屋で寝るのを極端に嫌がる。そんなわけで、私は、もう、随分と妻を抱いていなかった。

さぞかし、一緒の部屋で疲れるだろう。

僕は、そんな危惧を抱いて、海で泳いだ後、妻と部屋に戻った。

だが、僕の懸念をよそに、妻は、上機嫌だった。

「素敵な結婚式だったわ。」
どうやら、姪の結婚式に、興奮しているようだった。

「そうだな。」
ふいに、僕は、妻の日に焼けて火照った体に手を回したくなり、その通りにした。本当に、それは、何年かぶりの衝動だった。

妻は、一瞬顔をこわばらせたが、すぐに力を抜き、僕の手の動きに応えて来た。

ハワイの空気が、僕らをそんな風にしたのだろうか。あるいは、姪の結婚式が。

僕は、妻をドレッサーの前に連れて行き、鏡の中の妻に向かってささやいた。
「見てごらん。綺麗だ。」

妻は、最初は恥かしがっていたが、次第に、慣れ、そうして、鏡の中の僕らに見せつけるように、足を開いて、微笑んで見せた。

そんな妻を見るのは、僕も初めてだった。

本当に綺麗だった。三十代の後半とはいえ、まだまだ、張りのある体も。なぜ、こんなにも長いこと、僕は妻を放っておいて平気だったのだろう?

僕らはそうして、ハワイのホテルで三日三晩、抱き合った。

--

帰りの飛行機の中で、妻は物憂げだった。疲れているのだろう、と思って、僕も、話し掛けることをしなかった。

--

そうして、帰国後、ほどなく、妻は出て行ってしまった。

--

電話で、話す。

変な感じだ。つい、先週まで僕のそばで空気のように暮らしていた女が、どこか遠い遠いところにいるような感じ。

「なぜ?」
僕は、まだ、執拗に問う。

「恋よ。」
「恋?やっぱり?」
「違うの。恋がしたくなったの。」
「誰と?」
「分からない。ただ、ハワイで、あなたに愛されて、私は、鏡の中の私を本当に美しいと思った。」
「確かに綺麗だった。」
「そうしたら、じっとしていられなくなったの。まだ、見ない誰かのために生きていきたくなったの。あなたが私を見なくなったのと同時に、私自身も私を見なくなっていたことに気付いたのよ。」
「分からないよ。」
「ええ。分からないでしょうね。あなたには一生分からないでしょう。」

僕は、電話を切った。

--

一年が過ぎ、僕は他の女を抱く気にもなれない。その間、僕はいろいろなことを考えた。男というものは、女がそばにいつもいてくれるようになると、その女の事を考えなくなって、いなくなって慌てて考え始める生き物だから。

後悔だけが、僕を支配する。多分、長い長い時間を掛けて、僕は妻をないがしろにしていた。物を与え、旅行に連れて行ってやればいいと思っていたのだ。

ある夜、思い切って、別れた妻に電話をする。

妻は、英語を教えて生計を立てているという。

「明日、会えるかな。」
離婚してから、妻に会うのは初めてだった。

「そうね。夜、うちへいらっしゃる?」
「いいのか?」
「ええ。いいわよ。」
「男を部屋にあげても?」
「ええ。あなた、お友達だもの。私ほど、あなたを知っている人は他にはいないと思うの。つまらない、小さな女のプライドなんだけれどもね。」

ああ。確かに。

--

僕は、そして、今、小さな家の前で、両腕からあふれるほどの花束を。

さきほどから、まだ、ドアチャイムを押すことができずに立ち尽くしている。

つまりのところ、僕は、恋する男だった。

再びのチャンスをもらいにやってきた男だった。


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