セクサロイドは眠らない

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2002年07月30日(火) ねえ。ささやかなものです。私の欲しいのは。夫と、コウと。いつまでも、三人で。それだけなの。

「できた人は、先生に見せてちょうだいね。」
サクラ組では、園児達が一心にクレヨンを持つ手を動かしている。

しばらくすると、
「先生、できたよー。」
と、あちらでもこちらでも声が上がり、絵を見てもらって満足した子供は、次々と園庭に飛び出して行くのだが、一人だけいつまでも書いている子がいる。

「コウくん、できたかな・・・?」
保育士がそっと声を掛ける。

その男の子は、泣きそうになりながら、顔を歪ませて、いろいろな色をどんどん重ねて、挙句、何が何やらさっぱり分からない絵ができあがってしまった。

「コウくん、これ、なあに?」
「みず。」
「水?」
「うん。だけど、うまく描けないよ。全然うまくいかないよ。こんなんじゃないんだよ。」

男の子は、わっと泣いて、それから、部屋を飛び出して行ってしまった。

保育士は慌てて追い掛けるのだが、男の子の姿はどこにも見えない。

急いで、他の職員を呼んで、手分けをして探す。

いない。

まただ。あの子はいつも、職員を困らせる。もう、何度目だろう。

--

「はい。すぐ迎えに行きます。はい。申し訳ございません。」
私は、ほうっと溜め息をついて受話器を置く。

まただ。

コウが。

また、幼稚園で問題を起こしたみたい。

何が悪いんだろう。私の育て方の何かが間違っているのだろうか。

そんなことを思いながら、ハンドルを切る。

小雨が降り出した。このあたりは、雨が多い。

「すみません。ご迷惑掛けまして。」
「いえ。こちらこそ、お呼び立てしまして。」
「あの、コウは?」
「サクラ組でお昼寝してますよ。」
「で?どこで見つかったんですか?」
「裏の小川で、ずっと水の流れを見つめてました。」
「そうですか。」
「それでね、お母さん。我々も、だんだんとコウくんがクラスに馴染めなくなってるんで、困ってるんです。」
「ええ・・・。分かります。」
「おうちではどうですか?」
「うちでも。そりゃ、難しい子とは思いますけれど。でも、決して、周りを困らせようと思ってるわけじゃないんです。」
「もちろん、そう思いますが。」

ふっくらした顔をこちらに向けて、園長は何かを言い迷っていた。

「あの。もう少し、様子を見ていただけませんか?他のお子さんの迷惑になるのは分かっているのですが。あの子、根はいい子なんです。」
「分かってます。」

帰り道では、もう、雨が上がっていて、町中がキラリと光っていた。大きな虹が、町を見下ろしていた。私は、それをみて、なぜか体をすくませる。

お願い。

コウは、私の大事な子供なの。

誰も、どこにも連れて行かないで。

私は、誰にともなく、祈る。

ハンドルを握り締める手が白くなる。

--

「ねえ。ママ。これ、何色?」
「水色よ。」
「嘘だ。ママ、これ、水色じゃないよ。水は、もっと違うんだ。僕、お水、うまく描けないよ。」

昔から、こうだった。

そうね。お水は、もっといろんな色からできているわね。

私は、コウに付き合って、何時間も一緒に絵を描く相手をしたものだった。

でも、最後には結局、コウはクレヨンを投げ出して、泣いて、手がつけられなくなる。

そんなコウのこだわりも、親にしてみたら、普通の子供より優れて見えて、誇らしかったものだ。だが、幼稚園に入ってからは、ことごとく、みんなと合わせられない事が問題となり、私と夫は、頭を悩ませるようになった。

夫が、深夜に帰宅する。疲れているようだ。

「何か変わったことは?コウは?」
と、問われて、私は、
「今日は大丈夫だったわ。」
と、嘘の返事を。

夫は、安心したように笑って。

一緒の布団に入っても、一分と経たないうちに寝息が聞こえて来る。

ねえ。ささやかなものです。私の欲しいのは。夫と、コウと。いつまでも、三人で。それだけなの。

--

長い雨が、やまず、降り続いていた。

コウは、空を見上げて。

また、クレヨンで絵を。

「ねえ。ママ。いろんな色を全部合わせると、何色?」
「そうね。ねずみ色かな。」
「違うよ。ママ、うそつき。」
「あら。そう。ごめんなさい。」
「ねえ。パパは?」
「パパは、遠くへお仕事で行ってるのよ。」
「ふうん。」

その日、コウはどことなく不安そうだった。落ちつかず、いろいろな色を重ねて。

「コウ、もう、絵を描くのやめて、おやつにしない?」
私がそう言っても、知らん顔して。

「ねえ。コウ。どうしたの?」
私は、お昼も食べないコウに心配して、声を掛ける。

「ねえ。ママ。僕、ママのために綺麗な絵、描きたいんだ。」
「うん。」
「だけど、いつもうまくいかない。」
「充分よ。ママはコウが描いた絵が大好き。」
「ママ、また嘘言ってる。僕の絵、本当にきれいだって思ってないくせに。」
「そんなこと、ない。ほら。ここのところに、ママの好きなピンク色。ここには、パパの好きな緑色があるもの。」
コウの塗りたくった絵を指して、私は、言う。

コウは、顔を上げて、少し嬉しそうな顔をして。それから。
「もっと、ママの好きな絵を描きたかったんだ。」
と、つぶやいて。

ねえ。コウ。そんな言い方しないで。ママ、この絵も、大好きよ。そう言おうとした、その時、雨が上がった。唐突に。

それから、太陽の陽射しがパッと、差しこんで来て。

コウは、ふらりと立ち上がる。

外に出て行くコウを、私は慌てて呼びとめるけれど。

コウは、空に手を差し伸べている。

虹が、見下ろしていた。

ああ。見つけてしまったのね。

私は、慌ててコウを抱き止めようとするけれど。

その大きな虹の手は、コウをフワリと抱き上げて。

「コウ!」
私は、叫んでいたけれど。

--

あの日、雨が多いこの町で。

子供ができずに悩んでいた時のこと。

大きな大きな虹が掛かって。

赤ちゃんが泣いていた。

私は、その子を抱き上げて。コウと名付けた。

分かっていたのだけれど。いつかは迎えが来る事は。だけど、私は、コウを愛していた。どこにもやりたくなかった。

--

コウが行ってしまってからしばらくして、私は、結婚して始めて身ごもった。

生まれた子供は、可愛い女の赤ちゃんで、ナナコと名づけた。

ナナコは虹が大好きで。

この町では、よく雨が降る。そうして、虹も、よく掛かる。

一年前は頼りなかった虹も、最近じゃ随分と立派になって。私達を見下ろしている。

ナナコは、
「にいちゃ、にいちゃ・・・。」
と、虹を見てはしゃぐ。

その虹は、いろんな色を持っていて、太陽の光を浴びて、さまざまな色を見せてくれる。コウ、綺麗な絵。お母さん、大好きだよ。私は、空に向かって、言う。


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