セクサロイドは眠らない
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2002年03月13日(水) |
私は、本当は猫なんか欲しくなかった。だけど、夫を喜ばせるために、嬉しそうなふりをした。 |
「いってらっしゃい。」 私は、玄関まで夫を見送る。
「ああ。行ってくるよ。今日も遅くなるからさ、先に寝てていいよ。無理しなくていいから。」 「ええ。でも、なるべく早く帰って来てね。」 私は、今日も一日「ソレ」と向かい合うのが憂鬱で、いっそ行かないでと言いそうになるのを抑えて、笑顔で手を振る。
夫が仕事に行ってしまうと、私は、財布を握って車に乗り込み、少し離れたコンビニでお菓子をたくさん買い込み、急いで家に戻る。そうして、テレビの奥様番組を見ながら、買って来たお菓子を、次々に口に入れる。買っただけ、ありったけ。
もう、喉元まで食べたものが押し上げて来そうになったところで、水を飲んで。
私は、トイレに駆け込んで、食べたものを全部吐く。
今日は随分と楽に吐くことができた。きれいに吐くことが。簡単な時は、するするっと吐くことができるけど、うまくいかない時は指を入れて吐く。これは少し苦しい。私は、儀式を終え、安堵して部屋に戻り、部屋中に散らかったお菓子のパッケージを拾い集めて掃除する。
この儀式は、毎日ニ時間はかかる。面倒だと思いながらも、食べずにはいられないし、食べたら食べたで太るのが怖くて吐きたくて落ち着かない。だから、毎日の儀式。
やっと儀式を終えた私を、「ソレ」が部屋のすみからじっと見ている。
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男は、仕事を終えると女の部屋に向かった。
「約束通り、来ましたよ。」 「やだ、本当に来てくれたの?」 「あたりまえだろう。」 「まだ、結婚して半年しか経ってないのに、よその女の誘いに乗っちゃうなんて。私、結婚を考えちゃうわ。」 「そうそう。きみは、結婚なんかしないほうがいいよ。」
女は、グラスを二つ並べる。 「今日は、ゆっくりしてってくれるの?」 「ああ。」 「嬉しいわ。」
女は、本当に嬉しそうに笑った。
男はネクタイをゆるめながら、自分はなんでこんなところでぐずぐずしているのだろう、と考える。あれだけ言っても、どうせ妻は起きて待っているに違いない。分かっていて、帰りたくないからこうやって寄り道をしてしまう。
「ねえ。ワイン開ける?」 女は、男の首に手を回してくる。いい匂いがする。
「さきにきみを味わおう。」 男は、女の首に口づける。
「せっかちねえ・・・。」 女は、吐息をもらす。
帰りたくないのは「ソレ」が待っているから。
男は、考えないようにしようと、女の細い腰に手を回す。こんなにいい女を差し置いて、なんで結婚なんかしたんだろう。あの時は、結婚という言葉の魔法に掛かっただけなのだ。男ですら、一時の熱に浮かされることはある。
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男が帰宅すると、妻は、相変わらずぼんやりした顔で、テレビから流れる海外のテレビショッピングを眺めている。
「おかえりなさい。」 「先に寝ててくれたら良かったのに。」 「ご飯は?」 「食べて来た。」 「じゃ、お風呂になさる?」 「ああ。」
妻が起きて待っていることにむしろ苛立ちながら、男は浴室に入る。「ソレ」は、浴室の隅で、じっと男を見つめている。
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「きみにプレゼントがあるんだ。」 夫が、言う。
「あら。何かしら。」
夫が差し出したものは、小さな子猫。震えている。
「可愛いわねえ。これどうしたの?」 「会社の同僚がくれたんだ。実は、前から頼んであったんだよ。きみが昼間一人じゃ寂しいだろうからね。」 「嬉しいわ。」 「気に入ってくれた?」 「ええ。」
私は、本当は猫なんか欲しくなかった。だけど、夫を喜ばせるために、嬉しそうなふりをした。
「明日、早速、猫のものなんか買ってくるわね。」 「ああ。そうするといい。」
翌朝、私は猫の世話をしているふりをして、夫を起こさなかった。
起きてきた夫は、私が猫を可愛がっている様子を見て、満足そうに微笑んだ。
「あら。あなた、おはよう。ごめんなさいね。騒がしくて。」 「いいんだよ。」 「この子ねえ、キャットフードとか、食べないのよ。」 「猫も、好みってものがあるんだろう。」
私は子猫を抱いて、夫を玄関まで見送りに出た。
「早く帰って来てね。」 「ああ。」 「いってらっしゃい。」
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夫が出て行ったのを見計らって子猫を床に放り出すと、私は、いつもの儀式を行うために財布を握る。
「待っててね。」
私は、いつものようにお菓子をたくさん買い込み、帰宅する。子猫のことなど忘れて、私は食べられるたけ、口にものを積め込む。
どうも落ち着かない。ああ。猫がこっちを見ているんだ。
「あっち、行きなさい。」 私は、イライラして、猫にお菓子の箱を投げ付ける。
まったく、なんて猫だろう。私を監視してるみたいだ。
私は、猫に見られるのが嫌で、トイレに鍵を掛けて、吐く。
トイレのドアを開けると、そこに猫。
「また、あんたなの?」 私は、カッとなって、猫の首を強い力で握った。
「あんたが悪いのよ。」 猫は、ぎゅうっと音を立てて、動かなくなる。
それをソファの上に放り出して、それから、部屋を掃除する気力もなく、私は、眠る。なんだか、とても疲れているようだ。一日家にいるだけなのに。
何時間眠っていただろう。もうすっかり夜だ。
電話が鳴っている。
そばに、猫の死体が転がっている。お菓子のパッケージも散乱している。今、ここに夫が帰って来てくれたら、もうずっと何かが間違っていることをちゃんと言える筈なのに、夫は帰って来ない。
「可哀想に。お腹が空いてたのね。」 私は動かない猫に、つぶやく。
電話が鳴っている。
今日も遅くなる、というのだろうか。
相変わらず「ソレ」が部屋の隅から私を見ている。結婚の憂鬱という名の「ソレ」が。
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