セクサロイドは眠らない

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2002年02月03日(日) 悪魔は、言うことを聞いてくれた。だけど、怖くって逃げ出しだのさ。僕達の愛が怖いんだって。

今日、この子を抱いて、夫に出迎えてもらって退院して来た。

元気で、しっかりと太った、私達の赤ちゃん。

仕事で忙しく不在がちな夫の分まで、私が頑張ってこの子を育てなくては。きっと夫にそっくりな、頼もしい男性に育つでしょう。

けれども、心をよぎる一抹の不安は、何なのだろう。

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そもそもこの出産は、夫も、主治医も反対したものだった。私は体があまり丈夫ではなく、出産にすら耐えられるかどうかと言われたのだった。

けれども、世界を忙しく飛び回る夫は不在がちで、この屋敷は私にはあまりにも広く寂しかったし、何より、夫のために元気な子供を産みたかった。仮に、私の命が儚いものならば余計に、何か証を、この人と生き愛し愛された証を残したかったのだ。

だから、妊娠が分かった時、周囲を説得して、私は産むことを決意した。

妊娠は、本当に辛かった。つわりは激しく、お腹の赤ちゃんは私の小柄な体にとっては大きく元気に育ち過ぎ、私は、その大半を、病院で安静にして過ごした。

そうして、ようやく、出産の日を迎えた。

お産は、文字通り地獄の苦しみだった。その最中、私は祈った。「私の命と引き換えでいいですからこの子を無事に世に送り出してください。」と。

産んだ直後は出血もひどく、私は、数週間我が子を手に抱くことすらかなわないままに、点滴を受け、夢の中あちらこちらとさまよった。

時折、私の手を握る夫の手が、私を現実に引き戻してくれたおかげで、何とか命を繋ぐことができた。

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そんな幸福は、ある日、崩れ去ってしまった。

私が、育児に疲れて倒れてしまったある日、たまたま出張の合間をくぐって帰宅していた夫が三歳の息子をドライブに連れ出した。その先で事故に会い、車は大破、夫は即死、息子だけがかすり傷一つなく、助かった。

夫が、私達が食べて行くに余るほどのものを残してくれたお陰で、私達は、その後も路頭に迷うことなく、美しい屋敷で、使用人を使って生活していくことができる。

けれども。

夫が残して行ったものはあまりに多く、私は、途方に暮れてしまう。

--

今、私は、キッチンでホットケーキを食べながら幸福そうに笑いかけてくる六歳の息子を見て、なぜか憂鬱な気持ちを免れない。私が、どれだけのものを与えても満足せず、泣いたりわめいたり、あの手この手で愛情を求めてくる。私は、すっかり痩せてしまった。

「ねえ。ママ。二月はねえ。女の人が大好きな男の人にチョコレートをあげる日があるんだよね。ママ、僕にくれるでしょう?」
「ええ。もちろんよ。」
「前は、パパにもあげてたよねえ。僕、覚えてるよ。」
「そう。すごいわねえ。あなた、あんなにちっちゃかったのに。」
「もう、パパいないからねえ。ママは、僕だけにくれるんだよね。」

息子は、ニヤリと笑う。

私は、その笑顔に途方もない憎悪を感じる。

この子を。

その瞬間、強く心に思ったのだ。

夫を奪ったこの子を、私は、いつか殺すだろう。そうでないと、私もいつか殺されてしまう。

--

「ねえ、ママ。」

もう、どこにもいない筈の息子が、私の首に腕を絡めてくる。

苦しいから、離してちょうだい。

「ねえ、ママ。僕、歌を歌ってあげるから。」

低い声。耳を塞いだって、聞こえてくる声。

あっちに行って。

まとわりつかないで。

苦しいの。

息ができないの。

悪魔よ。あなたは。死んでなお、私を苦しめる。

--

誰もいない屋敷で、少年は、母親をかたどった、その人形に腕を絡める。

「ねえ。ママ、ここにいるんだろう?ママは、僕を見捨てることはできやしない。」

美しく波打つ黒髪は母譲り。

「ねえ。ママ。僕、歌を歌ってあげるから。だから、寂しくないから。」

 They rode by night and they rode by day,

  Till they came to the gates of hell.


「ねえ。ママ、僕、悪魔にお祈りしたよ。ママを連れ戻してくださいって。悪魔は、言うことを聞いてくれた。だけど、怖くって逃げ出しだのさ。僕達の愛が怖いんだって。はは。おかしいよね。」

少年は、涙を流す。

「だけど、ママ、息を引き取る間際、何を怖がっていたの?」 


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