cahier@enpitu
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2006年03月28日(火) 自分をいかに嫌えるかゲーム?

 このままだと良くないと考えた上で辞めることにした職場に持って行くお菓子の袋が余りにも大きくなるのは滑稽でみっともなく思えて、恥ずかしいのを承知ですぐに引き返して商品を替えてもらった。
 どうしてやり過ぎではなくちょうどよいというその程度を判断できないんだろう。

 向かうところは結局自分で。

 妹の引越しを手伝って帰ってきた母親の態度がこころなしか違う。妹がいるからわたしをないがしろにしても困らない、むしろ妹のほうを大切にしなくてはという深層心理が垣間見える。それと同時にそういうことを感じた自分が嫌になった。単に普段いない次女とたくさん話をしたいだけなんじゃないのって良いように考えればいいのに、どうしてもそういう考えに行き着く。別に母親に可愛がってもらいたいなんて今さら思わないけれど、その態度の変わる様が腹立たしくなって結局昔から何も変わっていないのだとむなしくもなる。
 けれどわたし自身のこの感情の揺れは何かを母親に期待しているようにも思えてとても悔しい。最初から何も欲しがらなければ悲しくも悔しくも怒りも覚えないとわかっているのに。
 自己矛盾の塊が大きくなってきて苛々しはじめてくる。涙をこぼしてもなにもできなくて、頭の中でもうひとりの自分を叩きのめす自分の姿が浮かんできてしまう。
 …こんなことを書き留める自分もどうにかしている。
 ただ、わたしは妹のことが嫌いなんじゃない。妹がいることによってかわる母親が嫌なだけだ。

 わたしは他人の欠点を憎んでしまう。それも強く。
 自分は欠点だらけなのにそれを棚に上げて。さみしいさみしいって言いながら、それでもひとと深く関われないのはそういうわたしの欠点のせいでもある。
 他人にどう思われるかが怖い、それが多分一番大きいのだけれど。

 食生活が貧しい。ああそうだ、きっとこの気分の波はたんぱく質もビタミンもミネラルも足りないからなんだ。なに食べたらいいんだろう、くそう何とかしてやるって食品成分表を買ったあの4年前の日よりもずっと退行している。どんどんわたしは弱くなっていっている。
 そういえば高校生の頃のわたしはどうしてあんなに強かったんだろう。その強さは鉄のようなものだったから、後々にぽっきりと折れることになったけれど。


諒 |MAIL