cahier@enpitu
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2006年03月10日(金) 静かな生活を希求

 今日は休み。

 錠剤を1錠飲み込むだけで気持ちよく眠れる。それが少し悲しい。もう大丈夫って思っていたのになあ。寝酒よりかはずっとマシだと言われたこともあるけれど、個人的な印象としては良くは無い。
 依存、という言葉にこのところ過敏。人間関係にも処方薬にも。誰にだってあるということだけれど、これは依存だなあと自覚・意識した途端むかむかしてくる。
 依存性が言われる薬については、処方量以上は絶対に飲まないよう気を配っていた。それはいつかこの薬が効かなくなったり依存してどうしようもなくなったり処方されなくなったらどうしようという強烈な不安からくるもので、そういう不安に陥ること自体が既に依存心が芽生えている証拠なのだとふと思う。デパスが効かなくなることは無いとも思うけれど、精神科医は依存性を言うのに対して整形外科医はかなり安易に処方したという事実に不安を強く感じるのも事実なのだ。手に入れようと思えば簡単に手に入る、そのことも怖い。
 話を聞いて欲しいというのはありだと思う。ただ、相手の状況を見る必要はある。意外と元気そうに見えても重荷と感じることもある。
 死にたいのなら止めない、という言葉の意味をうっすらとではあるけれど理解し始めた。哲学を勉強した上でそう決めるのなら止めない、と自分が言われたことはある。病気のせいでそういう気持ちになるなら確かに止めないといけない。でもゆっくり考えてそう決めたのなら止めても無駄。そのひとの衝動を止めるために自分が苦しむ必要も無い。ただ、いちいち自殺未遂の報告はいらない。何をして欲しい? 思えばわたし自身も痛いことをしていたのだった。


 相変わらず手の調子は悪い。キーボードを叩くにはそれほど問題はないけれど、箸を使うのがつらい。昨日Mにいさんが電話をくれたときに手をいためたことを話したら、自分なら書類もらってしかるべき方法をとる、と言われた。診断書を取ることも確かに考えたけれど4月からの仕事のことを考えて躊躇したのだった。今、体調なり精神的になりダメージを食らっていることをそのまま派遣会社に伝えることは自分のプラスになるのかどうかという計算をする必要はある。でも迷わずに診断書を取って3,4日休みを取ってしまえば良かったかなという気もしている。どうせ有給21日分を放棄することになるのだしこういうところで使えば良かった。

 休みの日は精神的に随分楽だ。

 このところ、静かな時間と明るい場所が欲しくなる。思い浮かべるのはコマーシャルに出てきそうなひとけの無い海辺。でも、一番具体的なのは関東に住んでいた頃の部屋。日差しが明るくて自分ひとりしかいない静かな部屋。あの頃は辛かったはずなのに懐かしくなる。

 病院から2月24日に一度電話があったきり全く音沙汰がないということにイライラしていた。けれども次に電話があったときに都合が悪いのなら断ってまたいつになるかわからないけれど先延ばしにすればいいのかな、という諦めがついた。誰かにきっちりとしていることを求めて苛立ち続けるのは精神的に良くない。


 NUMBER GIRLを聴きたくなるのは、殺気がこもった曲が好きだからかもしれない。春の狂気と殺気。ナイフを振り回さない代わりに切り裂く音。


諒 |MAIL