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■ ありがとう♪
とっても大切な・・・私の原点とも言えるような生徒が 私の誕生日を覚えててくれた。 うれしいことです。ありがとう。
HAPPY BIRTHDAYメールは届かなかったけれど その子のニッキにたった1行、 「華ちゃんの誕生日」って書いてあった。 それだけで感激してしまうのです。 私ってばなんて単純なんでしょう(汗)
人と人との縁は不思議ですね。。。
ちなみに私の誕生日・・・世間一般では墓参りの日でもあるので なぜ墓参りなんてものがあるのか、 私なりの(宗教とはまるで無縁の)考察を つらつらと書いてみよう。
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そもそも私は死んだ経験が無いので 死後の自分がどうなっているかとか、 葬式や四十九日の法要が 本当に私のために行われているものだとは思えないんです。 (宗教家の皆さん、怒らないでください)
葬式も、法要も法事も墓参りも、きっと 残された人が気持ちの整理をつけるために 行ってるものではないかと思うんですね。 (これを専門用語で表すと 喪の作業とかディブリーフィングというそうです)
多分、身近な人の「死」を 自分の中で消化しきれなくなってきてからだろうな ・・・こういう考え方をするようになったいきさつは。
葬式や、法事などの社会的な作業をしながら 死んだ人に対する良い思い出も悪い思い出も整理していくんだよ。 最初は・・・ 死んだ人がいない生活にも不慣れだし、 いろんな思い出が溢れて来るから 気持ちの整理をするためにこまめに法事をして・・・ 死んだ人の思い出を共有できる人たちと 死んだ人について思いをはせて そうやって、「もう会えない」「時間を共有できない」現実に 折り合いをつけていくんだと思う。 法事はだんだん間隔が開いていくでしょ。 それはきっと、死んだ人が居ない生活になれてくるから。
それでも毎日の仏壇への線香やお供えやお墓参りをするのは 絆が切れないようにするため・・・?! 死を受け入れることと相手の存在を忘れてしまうことは 同義語ではないと私は信じている。
職業として坊主をしている友人が教えてくれた。 墓参りはあまり頻繁にしすぎてはいけないそうです。 何で?!と理由を尋ねたら あんまり頻繁に墓参りに来られると 生きている人が、きちんと自分の死を受け入れて 生きて行ってくれるか心配で成仏できないからだそうです。
残された人が上手に死んだ人への思いに整理をつけるのは 死んだ人に心配かけないためにも必要な作業らしい。
2004年08月19日(木)
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