詩的エッセイ、つづっています。...笑 満ちる

 

 

「いつも幸せでいること」を、選ぶ。 - 2008年11月04日(火)

先日、船井幸雄さんが発信する雑誌、
ザ・フナイの編集長をされる、
高岡良子さんと出会いました。

私をある方の娘さんと間違えられたことがご縁で
お名刺交換をしながらお話していました。

チャーミングな笑顔の女性です。

高岡さんは、私が妊娠していることを知り、
胎内記憶についての記事が載った
バックナンバーを贈ってくださいました。

そこには、池川明先生という産婦人科の先生が
「コミュニケーションの不思議」と題した特集で
語られた内容が載っていました。

胎内の記憶を持つ子どもが、
お腹の中にいた時のことを語り出す、
という本来のテーマ以上に、
私を揺さぶった印象的な部分がありましたので
ここに引用してシェアします。

ーーーーー
幸せか不幸かは自分が決めることである、ということを、
不妊症の方の考え方から知る事ができます。

不妊症で悩んでいる方がお友達に街で出会ったときに、
「赤ちゃんまだ?」と聞かれることがあります。

聞く方は普通の挨拶のつもりで
軽い気持ちだと思います。

ところが言われた方は、
「いつもすごく気にしていることを、ずけずけ言ってきて」
と許せない気持ちで逆恨みする人が少なからずいます。

しかし、不妊症ではなくお腹に小さな命が宿っていて
幸せを感じているとしたらどうでしょう。

全く同じように「赤ちゃんまだ?」と聞かれたら、
きっと幸せな気持ちで
「赤ちゃんがいるの、予定日は・・・」などと答え、
相手を恨んだりはしないでしょう。
きっと聞いてきた人とその幸せを共有するのではないでしょうか。

同じ言葉「赤ちゃんまだ?」が、
その人を辛い気持ちにもさせ、
幸せにもするのです。

どこが違うのでしょうか。
煎じづめれば、幸や不幸は
周囲がもたらすものではありません。

不幸だと思っている人は、
周囲や自分の状況に心を支配されており、
「不幸でいる」という心の状態を
自分で選んでしまっているのです。
周囲や自分の状況に左右されることなく
「いつも幸せでいる」ことを
意識的に選べるようになりたいものです。
(ザ・フナイ 2008年9月号より)

ーーーーー
私はこれを読み、しばらく気持ちがざわめきました。
今、私は妊娠していて幸せをかみしめていますが、
結婚して4年、赤ちゃんには恵まれませんでした。

さらに、赤ちゃんができるできない、という話題に限らず
私は人から言われた言葉にひどく左右され、
泣いたりわめいたりしてきたな、と気づかされ、
ハッとさせられました。

「こんなひどい気持ちでいる私の気持ち、わからないの?」
「そんな言い方って、そんな態度ってないじゃない!」

なんて急に泣き出したりして、
場にそぐわない反応で
相手を戸惑わせることが多くありました。

でもそれは、自分で「不幸でいる」ことを選んでいた、なんて。
それはそれはちょっと、手厳しいように感じました。

少したつと私は、
そうしたざわめく感情を通り抜け、

「そうか、『いつも幸せでいる』ことを選ぶって、
 私のできる最大の権利なのかもしれない」

と思い始めました。



ここのところ、私は自分が「卑屈」になるクセに気づき、
どうにかしたいな〜、なんて思っていたんです。

子どもの頃から、家庭環境やお金に苦しんできた私は、
仲のいい家族をみると、くやしかったです。
お金に余裕がある人を見ると、すごくねたましかったです。


「いいな〜、私もそうなりたい♪」

と単純に願うのではなく、

「なんで?なんで?なんで? 何が私と違うの?」

と地団駄ふんでは憤慨し、心穏やかではありませんでした。
そしてまるで相手が何かズルでもしているかのように
被害妄想をふくらませて怒っていました。

遠い昔話のように聞こえるかもしれませんが、
つい数日前までそうした心の爆発を抱えていました。
つい1週間前も、そんな話題で心がかきむしられ、
泣いたりふさいだりしている自分がいました。

ですから、上述の記事を読んだ時、
なおさら心の波風は激しかったです。


そこへ、気づきの福音が・・・。


私は、何故そんなに被害者意識に陥るのかな?
と、少し考えてみました。

すると、私はとても他人に依存していることに思い当たりました。
私が被害者のように感じていじけたり卑屈になったりするのは、
他人の軸で生きてきたからだな、ということです。

人の土俵だったから、どこか人に合わせていて、
本当は別のことをしていたいのに、
ほかの人のリズムで無理して仕事したり、
余計なお金使いたくないのに見栄をはって
相手に合わせて出かけることになったり、
そんなこと、本当によくやっていました。

そんなことを続けていたら、
いじけた気持ちが爆発してしまうんです。

最近人にすすめられて読んでいる、
世界No.1マネーコーチといわれる
ハーブ・エッカーの本があります。

本田健さんが訳している、
「ミリオネア・マインド」という本です。

そこには、お金持ちになるための
様々なエッセンスが書かれています。

単にお金を持っているだけでなく、
心豊かな経済自由人のことです。

そこにはズバリ、

「被害者意識を持った金持ちはいない」

と、全く痛快なほどに、言い切っています。

ちなみに別のページには、
「自分の望むものを祝福する」ことが奨められていました。
私がしていたことは、これとは正反対で、
「自分が本当は望むものを非難する」でした。。

幸せな家庭がほしいのに、
十分な経済がほしいのに、
一途で情熱的な姿に憧れるのに、
そうしたものを既に手に入れている人をみつけては、
「自分が望むもの」にそれはひどくケチをつけていたのです!

しょっちゅうくやしくて泣いてた自分。
まじまじとその卑屈さをみつめてみたら、
「不幸でいること」を選んでいる自分が初めてみえた。

そんなことに気づかせていただき、
改めて冒頭の「赤ちゃんまだ?」の話を読むと、
見えてくるものが違ってきます。


ここに宣言します。

私は、「いつも幸せでいる」ことを
自ら選択していこうと思います。

一方で、言葉がこれほどまでに心にささり、
人の気持ちを左右するものなのかを実感し、
自分の言葉で傷つく人がいるかもしれないことをも
配慮できる、バランスのとれた人になりたいです。

ありがとうございます。


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