「静かな大地」を遠く離れて
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2006年11月12日(日) |
First Light |
「ぼくは最近、朗読に凝ってまして…」そう言って作家は、おもむろに自作を読みはじめた。 札幌の北海道立文学館での特別企画展にともなって催された、講演会の席上でのこと。
■「池澤夏樹のトポス〜旅する作家と世界の出会い〜」2006年10月14日〜11月26日 10月14日 文芸講演会《旅と私―世界との出会い》 10月15日 文芸講演会《『静かな大地』誕生余話》
長年撮りためた写真を中心とした展示は見応えがあった。「視覚型」の著述家であることが、 幸福な形で結実した企画である。「撮りためた」というのはやや正確ではない。講演によると、 過去のフィルムなどは散逸していて、極端な場合にはすっかり処分してしまったらしく、 今回の企画展の話がもう少し早ければ捨てなかったのに…というものもあったという。 だから御本人が「そのうち写真展をやろうか」と目論んで「撮りためて」いたわけではない。
上記の講演会のほかにも数回の朗読会、そしてさらに生地・帯広に場所を移しての催しまで、 ずいぶん大規模な企画である。幸いにも都合がついたので、北海道に足を運ぶことにした。 秋の札幌や十勝は久しぶりだし、好きな店で美味しいものでも食べながら、講演会を聴講 したり古書店をのぞいたり公園を散歩したりするのは、とても好ましい休暇の過ごし方だ。 この着想を裏打ちするように、ちょうど出たばかりの特集に、こんな記述があった。
■「池澤夏樹Lecture 若い日本、老いたヨーロッパ?」より (『Coyote No.14 特集 池澤夏樹 帰りそびれた旅行者』) フランス人が好きなものの一つにサロン・ド・リーブル、英語で言えばブックフェアと いうのがあります。日本にはあまりない催しだからうまく日本語にならない。(中略) 本が好きな人たちが会期中にその町へ出かけて行って、ホテルに泊まって食事をして、 本屋巡りを重ねて、自分の好きな作家の話を聞いて帰る。
思いがけず“勝手にサロン・ド・リーブル in 北海道”という運びになったというわけだ。 バゲットを持った写真も素敵な“ムッシュ・マルシェ”ぶり(!)を堪能できるこの特集は、 北海道立文学館の企画展の内容ともリンクしていて長いスパンの中で氏の仕事を振り返るのに 必携の充実した内容。作家の「思想」の部分を問うた『沖に向かって泳ぐ』『アジアの感情』 の続きの仕事と言ってもよいだろう。
冒頭に書いた「朗読に凝ってまして…」という発言をされた時、いたく上機嫌でいらしたのが 少し意外だった。朗読が盛んな欧州に拠点を移された影響もあるのだろうか。 数年前、東京・駒場にある日本近代文学館の「声のライブラリー」という催しで聴いたことは あるものの、朗読が格別にお好きだという印象は持っていなかった。 でも考えてみれば、もともと詩人。言葉を磨き上げていくのが身上の作家さんだ。 繙いてみればこんな発言もある。
■池澤夏樹「母、原條あき子のこと」より (『原條あき子全詩集 やがて麗しい五月が訪れ』より) あまり大袈裟に感情を込めず、むしろ淡々と、韻がよく共鳴するように朗読してみて いただきたい。もともと「マチネ・ポエティック」とは戦前のパリの劇場で、夜の芝居の 公演が始まる前の時間に詩の朗読をするという催しのことだった。「マチネの人たちも 議論ばかりしていないで朗読会を開けばよかったのに」と母は言っていた。 本人は極度にはにかむ性格で、人前で朗読などとてもできなかったのだが。
…で、御自身は齢61歳にして“はにかむ”こともなくなった、ということだろうか(笑) 実に楽しそうに朗読されるのだ。聴いているほうまで幸福な気分が伝わってくるみたい。 このHPでも、ある時は真剣にある時は洒落で何度か朗読というものに言及したことがあるが、 御本人が朗読にあんなに強い関心を示されるとは思わなかった。 さらに繙いてみれば、こんな発言もあった。
■池澤夏樹「詩の悦楽について」より(『須賀敦子全集5巻』) 誰もが心の奥の方に「若いころ、わたしは……」で始まる記憶を持っている。 それがこうして美しく普遍化される。共有のものになる。それが詩人の仕事である。 人々の未だ言葉にならぬ思いのために美しい表現を用意しておくこと。 その時がきたらすぐに使えるように準備しておくこと。 これを翻訳の活字をたどって読みながら、ぼくはこの詩の響きを聞きたいと願う。 詩人自身の朗読によって。いや、もっと欲張って、それをアツコに向って読んで きかせるペッピーノの声を漏れ聞くかたちで。須賀敦子が書いたものは結局のところ、 すべてその夜の幸福感につながるものなのだ。
幸福感。池澤氏の創作の基底に幸福感というものが横たわっている、そういう認識は以前から 持っているつもりだった。しかし“創作の基底”どころか、人生の「絶対音感」とでも言える ような基準として、はじめに幸福感があった、それがありありとしたクオリアを伴って実感 できたのは今回の一連の企画の中でのことだった。
生地・帯広で行われた佐々木譲さんとの対談、そして5歳までの記憶を綴った「帯広1950」 というエッセイ(これは北海道新聞・十勝版だけに連載されたもので、帯広市立図書館の展示 でその一部を初めて知った。近刊のエッセイ集には載録される予定らしい)の朗読の時間は、 なんだかもうポカポカとした幸福の気配に包まれていた。帯広での幼少の日々そのものが、 語るだけで幸福感を醸し出すようで、それが聴いているほうにも行き渡ってゆくみたいだった。 佐々木譲さんもまるで御自作の『武揚伝』などに登場する友誼に厚い男たちのように、池澤氏 への敬愛の念を全身から放射されていて、それに応える氏もまた何とも言えずうれしそう。 何だか“小さな男の子”の魂が、そのままそこに居るような感じ。 そのポカポカに包まれながら、なんなんだろう?この感覚は…と思いつつ身を任せていた。 プロフェッショナルの仕事を援用させていただいくと、こういうことだろうか。
■梨木香歩「日常を守護する」より(北村薫『月の砂漠をさばさばと』文庫版巻末エッセイ) 二者間で醸される、なんとほんのりと上質のエロスであろうか。エロスがこういう極めて 高い相で現れた場合、日常は幸福で光り輝く。(中略) この日常とのエロティックな体験(!)を重ねてゆくと、味も素っ気もないクールな現実に 対処してゆかねばならない心に、ふわふわと産毛(うぶげ)のようなものが生えてくる。 この産毛がその人の幸福感知能力のようなものを決定してゆく。これは人間が日常の中に 幸福を引き寄せ、生き抜くための最も大事な能力の一つだと思う。
9歳の女の子とお母さんの、二人暮らしの日常を描いた物語について書かれた文章。 これを援用するなら、池澤氏はさしずめ“とびっきりの産毛”にくるまれて、幸福感知能力 を健全に育みながら還暦を越えられた、といったところだろうか。 「高次のエロス」というものが在ること。それを身体で知悉していることの潜在的な力。 この産毛は生えないことも、損なわれることもある。そうなると「低次のエロス」に代償を 求めることになるのだろう、哀しいことに。たとえばそれは「攻撃衝動に基づく共同性」、 安直だが根深い排外的全体主義のようなものか。そうした低次の罠に嵌らないために有用 なのは、小賢しい知識や猜疑心めいた注意深さよりも(そんなものはあとから習得可能だ) きっと“とびっきりの産毛”なのだ。
ぽやぽやの産毛を生やした雛鳥は、やがて母親から「筋金入りのリベラリズム」という翼の 使い方を教わって巣の外へ飛翔してゆく。それで今もって「渡りの衝動」を禁じ得ないのかも。
■原條あき子「To my darling Natsuki 1」 (『原條あき子全詩集 やがて麗しい五月が訪れ』)
いつかこの橋の手摺にもたれて なつきよ わたしたちの花を束ね 水のおもてに明日の影を重ね 遠いやまなみに別れのふしを棄て
覚えていようね 優しかった季節 きんの夢を透かし 天使の翼
大きな明るい秋匂う朝 おまえの真珠の眼 笑いの行列
またくりかえす物語りの夜々 どうぞ守っておくれ 炎影にひそみ 錫の兵隊よ 天鵞絨の犬よ
いつか橋にもたれて 光りはなごみ わたしたち よろこびの花を束ね 並んで聞こうね 旅の終わりの鐘
特別企画展の最後のコーナーに、母君に抱かれた小さな男の子の写真が展示されていた。 “とびっきりの産毛”にくるまれて、大きな目で世界を見ている。 その隣に実父・福永武彦の写真が展示されている。 福永氏に関するキャプションを読んでいて、あっと思い至った。 池澤氏は今年、福永武彦さんが亡くなったのと同じ年齢だ。 展示してある雑誌の文中に、そのことが言及されているのに気づいたのはそのあとだった。
■池澤夏樹「父との仲と『風のかたみ』」より(『文藝春秋10月臨時増刊号 悠々として急げ』) ぼくはこの十二月で六十一歳四か月という父の享年を超える。
帯広の幸福な夜の翌日、飛行機に乗る前に中札内の坂本直行記念館に寄った。 好天に恵まれて、坂本直行が好んで描いた日高山脈が眼前に広がる。 旅の終わりの光景。 …あの山並みの彼方に“遠別”があるのだな、と思った。
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