「静かな大地」を遠く離れて
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ご近所のお気に入りのイタリアンの店のカウンターで、厨房のシェフの作業を見ながら、 『パンツを脱いだサル』の人類水棲説のダナキル地塁のくだりを思い出していた。 “蒸す”という調理法はレヴィ・ストロースに軽視されたものの、実は料理の本源的な 姿だったのではないか、という指摘。 溶岩で勝手に出来たアクア・パッツァとか想像すると可笑しい。 なんだかそのへんをきっかけに“ヒトという種と塩”という話に突入し、 帰宅して書棚から本を引っ張り出して大興奮してしまった。 以下は、そのメモランダム。なにか途方もない思考に導かれそうな予感。
■シンディ・エンジェル『動物たちの自然健康法』(紀伊國屋書店) ナトリウムはあらゆる陸生動物にとってとりわけ貴重である。このミネラルは尿や汗と して失われるので、たえず補充しなくてはならないからだ。それは人間にとっても たいへん重要で、昔は塩(塩化ナトリウム)は一種の万国共通通貨として通用していた。 ローマの兵士は給料を塩で支払われていた。「サラリー」という言葉はラテン語で 塩を指す「サラリウム」から生まれたのである。硬貨がつくられるようになると、 塩の重さと等しい値をあらわすホールマーク(ホールはギリシャ語の塩)が刻印された。 今日でもエチオピアのダナキル平原にすむ遊牧民のあいだでは塩が貨幣として使われている。
■池澤夏樹『都市の書物』「ホモ・アクアリウス説」(太田出版) 本当の話、ヒトは最も泳ぎが下手な動物である。イヌやネコならば、地上を歩くのと 同じ姿勢で水の中で手足を動かせば、それで一応は泳ぎになる。いわゆる犬掻きだ。 しかしヒトの場合は顔面の確度が不適当なので犬掻きでは息ができない。無理して首を 上げなくてはならない。実にまずい設計というほかない。 それでも、ホモ・アクアリウス説はなかなか魅力がある。 たぶん彼らはずっと水中にいたのではなく、水辺にたむろし、水に入ったりして 遊び暮らしたのだろう。川や沼や湿原のようなところで、魚を追ったり、海老や貝を 取ったり、柔らかな水草をかじったりしていたのだろう。 これは実に理想的な生活であるような気がする。すぐに実行に移したいくらいだ。
■高橋迪雄『ヒトはおかしな肉食動物』(講談社) ヒトが四〇〇万年間つづけた狩猟・採集にしろ、一万年間従事し続けた農業労働にしろ、 現代の私たちに比べれば桁外れに強い運動を伴っています。強い運動は筋肉からの大量の 熱産生を伴いますから、これを体表から放散させる有効な手段を持たないと、終日歩き 続けたり、働き続けたりすることは(チータの例から明らかなように)不可能になるはず です。この点に関して、「ヒトの体毛が極端に少ないこと」「汗腺が発達していること」 は大変大きな意味を持っていたと考えられます。 狩猟・採集生活の時代に、肉食動物の活躍する夜ではなく昼間に狩りができたことには、 「熱放散を効率的に行える」というヒトの特徴が大いに貢献していたはずです。
■池澤夏樹『見えない博物館』「塩の浄化力」(平凡社ライブラリー) 人の身体は独自の暖流と寒流をもつ小さな地球である。血が海である以上、塩が人の身体 にとって必須であることは疑いを入れない。しかも塩は豊富であると同時に化学的にも 単純な組成をもち、そのゆえにほかのものでは代用がきかない。かくて・・・「塩もし 効力を失なはば、何をもてか之に塩すべき」とイエスは言う。 先日から一つ気になっていたことがある。なぜ日本語では「塩」と「潮」とが共に ≪シホ≫という語で表されるのか? (中略) 結論を言えば、結晶としての塩の原料、潮という運動の主体、≪シホ≫とはすなわち 海水の謂である。おそらく古代日本語では≪ウミ≫がいささか抽象的な海洋一般、 ないしは地理的な概念だったのに対して、≪シホ≫の方はそのウミがとるところの 具体的な形、厖大な量の塩水、その動きとしての干満、その精髄としての塩化ナトリウム、 を意味したのだろう。
■宮本常一『塩の道』(講談社学術文庫) いろいろな話から考えまして、小規模に塩の生産をしていた地帯では、山の中から それぞれ人が海岸まで出て行き、そこで塩を焼いて、それから奥へ帰っていく。 その場合は、川がたいへん大事な役割を果たしていたのだということがわかって きますし、それが最初の塩の道であったと考えてよいわけです。 古い時代の日本における塩の生産というのは、皮膚呼吸的なものであって、 どんなに山奥に住んでいる人でも、自分の必要なものは自分が採りに行く以外に 方法がなかったのだという感じを深くするのです。
■栗本慎一郎『パンツをはいたサル』(現代書館) さて、交換という経済活動が、共同体の内部から発生したものではないことがわかった だろう。では、いったい、交換の起源とはなんだろうか。 この点について、これまで経済学で言われてきたのは、魚を捕って暮らしていた海辺の 住人が、あるとき毛皮が欲しくなって、山の住人と取り替えっこをした、というたぐいの 説明である。要するに、お互いが不足している必需品を補い合うために交換が行われたと いうのだ。だが、これはよく考えてみるとおかしい。 海辺の住人が、あるとき突然、毛皮が不足していることに気がついて、山の住人から得る ようになった、ということは不自然である。それではいったい、過去の海辺の住人は、 どうやって生きていたのか。要するに海辺の住人は、それまで毛皮などなくてもやって いけたのだ。だから、交換は、生活上の必要とは違うところから発生したと考えるしか ないのである。
■池澤夏樹『神々の食』「海と風と太陽の結晶 塩 粟国島」(文藝春秋) 塩は煙草と並んで官の専売事業の対象だったために競争原理が働かなかった(専売に したのは日露戦争の費用を捻出するのが目的だったというから、つくづく古い話だ)。 そのために、みんながなんとなくおいしくないと思っても、そのまま通用してきた。 しかし不満の声は次第に高まっている。ぼく自身、最近は日本たばこ産業を嫌って イギリスの塩を使ってきた。
■D・T・コートライト『ドラッグは世界をいかに変えたか』(春秋社) たとえば塩の税を見てみよう。歴史上もっとも長持ちしている収入源の一つである。 塩には習慣性がある。使い続けていると塩気のない自然な食品が味気なく感じて食欲を そそらなくなる。塩を加えることへの強い嗜好は・・・これを依存と呼ぶ歴史学者も いる・・・財政的な機会を作りだした。中国の皇帝、インドにおけるイギリス人、 その他旧体制のさまざまな王侯や君主はそれを利用する。ラ・ガベルというフランスの 塩税はとくに重かった。農民は年収の八分の一を塩に使うことがあり、その値段の大半 は税である。そかし、ひときわ人々を怒らせ、脱税に走らせたのは、課税に統一性が 欠けていることだった。地方や国の境を越えると、塩の値段は最高で一〇倍も違う。 フランスの役人は、安い塩を運んでいる男や女や子どもや訓練された犬を取り押さえた。 刑罰にはむち打ち、焼き印、ガレー船行き、そして刑車による死刑がある。 恐怖時代が到来したとき、塩税を担当していた徴税請負人はギロチンへ駆り立てられて 行った。その中には徴税請負の儲けを草分け的な化学研究に役立てていたアントワヌ・ ラヴォアジエがいる。
■宮本美智子『世にも美しいダイエット』(講談社) ここで塩というのは、大半が塩化ナトリウムの化学塩のことではありません。 つまり、大方の人が手にいれている食塩は、塩素とナトリウムが主成分でマグネシウム やカリウムやカルシウムなどのミネラルや栄養素が入っていない。そんな塩ならとらない ほうがいいが、昔ながらのいい塩はむしろカラダには必要なのです。 「人間の祖先は何十億年も昔から海に棲み、水と塩とプランクトンで生きていたのです。 日本人が化学塩をとるようになってから二十五年になりますが、塩が変わってから日本人 の食生活がめちゃくちゃになったんですわ。砂糖もそうですが、食生活の変化が難病奇病 を作ってしまったんです。だってあれは塩っからいだけでミネラルもなにも入ってない でしょう。カラダに合った塩をたっぷりとって、きれいな水を十分に与えてカラダじゅう の細胞をよみがえらせることが大事なんです」(M先生)
■イオン交換膜電気透析法 イオン交換膜に電気を流し、塩水に溶けたナトリウムイオン(Na+)と、塩素イオン (Cl−)を透析して、抽出する方法です。日本で古来から行われていた揚浜式塩田や 入浜式塩田にくらべ、広大な浜辺を必要とせず、安価にかつ、安定して塩を供給することが できます。しかし、塩化ナトリウムの純度が高く、自然界の海水に含まれる塩のバランスと 大きく異なり、塩辛く、とんがった味がするのが特徴です。 では、何故こんな塩辛いだけの塩がこんなにも蔓延しているのでしょうか? 1971年から1997年4月までの間、塩近代化臨時措置法という法律がありました。 この法律は、工業を近代化させるために、揚浜式塩田や入浜式塩田が立地していた海浜を 有効利用したいという政府の思惑と、工業で使われるソーダ(塩のこと)を天候に関わらず、 安定供給したいという工業界の思惑が一致して成立した法律でした。このため、揚浜式塩田 や入浜式塩田は、一部の神事・観光・研究目的の生産を除いて、日本からは姿を消し、電気 の力で海水中のイオンから精製する、味気ない塩だけが残りました。 1997年4月に塩近代化臨時措置法は撤廃され、塩事業法が施行、また2002年4月 からは塩事業法も撤廃され、やっと塩の製造が完全自由化されました。 (「男の趣肴ホームページ」http://www.ajiwai.com/otoko/make/shionotikara.htm)
■「にがり研究の第一人者 真島真平」 1960年から、日本専売公社が「イオン交換膜法」と呼ばれる科学的な方法で塩を作り始めた。 海水から作る昔ながらの天然塩は塩化ナトリウムが約85%で、残りの約15%がにがり成分 (微量成分 = ミネラル)だが、「イオン交換膜法」で作る食塩と食卓塩は99%以上、精製塩 は99.5%以上が塩化ナトリウムであったからだ。 真島博士は精製塩をとり続けた結果、にがり(海水微量成分)を採れなくなった日本人の身体 は免疫力が弱まり、以前にはほとんどなかった病気にかかるようになったとの結論に達し、 海水から採った天然にがり成分を効率的に摂取することが現代病の改善、および予防に つながると考えた。 (「マジマの天然濃縮にがり」http://www.majima-nigari.jp/majima/index.html)
■日野啓三『梯の立つ都市 冥府と永遠の花』「大塩湖から来た女性」(集英社) 「危険にみちたこの世界を生きてゆくのはとてもシヴィアーなことだけど、お互い元気で」 と立ち上がって私は別れの挨拶をした、草の言葉で。 彼女もわかって微笑した。自然ないい笑顔だった。その笑顔のまま、彼女はゴツゴツした 白い塊を掌にのせて差し出した。 「私の故郷の塩」とだけ言った。 もう何年も前、オーストラリア大陸の中央大平原で、トルコのアナトリア高原で、一面に 干上がった、あるいは岸に沿って塩分が盛り上がって析出した内陸塩湖を見たことがある。 茶褐色の広大な地面の一部が純白と化して日ざしにきらめき渡っていた光景は、目の奥が しんと静まり返るように神秘的だった。
太古のヒトたちは、やたらと汗をかくという身体システムの進化戦略上のアドバンテージを 十全に活かしながら、住み慣れた海を遠く離れて大陸を渡って行ったのだろうか。 他の陸生動物たちにも増して、塩と様々な微量元素を体外から取り込む算段をつけながら。
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