「静かな大地」を遠く離れて
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題:333話 馬を放つ3 画:ヤツデ 話:鹿の群れに似て、馬の群にも頭領格のものがいる
群を導く馬、というと古井由吉氏の「先導獣の話」という昔の短編を連想したりする。 氏は無類の馬好きで、それは競馬好きという俗な面もありつつ、馬という動物の持つ 気高さや、超越性のようなものへの偏愛というものも含んでいるようだ。お住まいも、 馬事公苑の近くだと聞いたことがある。馬の目。何を聴いているかわからない馬の耳。 呼びかけても答えの返ってこない、それでいて何かを感覚していることは確かな他者。
イルカでもクマでもいい、およそコミュニケートし得ない他者への想いに身を焦がし、 人生さえ変えてしまうヒトもいる。もっと厄介な他者は「神」と呼ばれる対象である かもしれない。先日ここで「もし君が“答え”を知っているなら教えて欲しい。」と 書いた二人称は、具体的な誰かではなく、観念的な“読者”とかでもなくレトリック としての「神」だったりする。「君」というくだけた二人称を、ラブソングの歌詞に 使う振りをして、都市とか国家とか「神」を表象するというのは、わりとありふれた 着想ではある。話の運びとしては、もっとも厄介な他者は自分、というのが落ちかな。
大きなガジュマルの樹の下で生まれた物語を城ノ内真理亜という作家が絵本にした時、 たしか出版社は「時風舎書房」で、絵は「嵯峨文彦」さんという人だったと思う(笑) もっとも厄介な他者は自分。それでも人は生きていくし、他者を想わずにいられない。 そう、真理亜さんは、そんな人だった。今ごろになって意外に懐かしく思い出される。 彼女が書いていたのも、きっと「宇宙一切ない物語」だっただろう、そんな気がする。
いつか君に言ったように、過ごしてしまった季節は幻ではない。これから過ごす季節 を確かめていくように、いつも君の存在を一番近くで感じていられたら…、そう思う。 ポケットの王冠で買えるくらいの幸福を握りしめて、宇宙の終わりまで歩いてみよう。 ここではないどこかは、いつも今ここにある。世界はいま、静かに結晶を育てている。
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