「静かな大地」を遠く離れて
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2002年05月16日(木) |
反撃の拠点としての夢物語 |
題:329話 チセを焼く29 画:筆置き 話:だから、そこをなんとかと言っているのだ
「そこをなんとか」って、何だかすごく“日本社会”って感じの表現。
こういう表現って英語に訳せるんだろうか?…なんてことを思うのは、 枝廣淳子さんの日記とかを読んでるせいかもしれない。先日も触れた、 レスター・ブラウン氏の講演をコーディネイトしたのが、枝廣さんだ。 もともと実務翻訳の仕事をされていた方だが、最近はメールニュース で環境問題に関するトピックを配信したり、さまざまに活動している。
■環境トップページ http://www.ne.jp/asahi/home/enviro/
きょう送られてきた最新のニュースには、日曜日のレスター氏の講演 の日本語訳が早速載っている。新著の『地球のセーターってなあに?』 を“お土産”として配布してしまう豪華版の講演会だったので、得した 気分でいたのだけれど、本家のレスター氏は、『エコ・エコノミー』と いう新著をHPから無料でダウンロードできるようにしていると言う。 『すば新』のアユミさんだったら、きっともう読んでいるだろう(^^)
村上龍氏の『希望の国のエクソダス』に出てくる風車群は、なんだか 禍々しい印象があったけれど、チコロトイの意志を継ぐような、独立 した共同体を打ち立てるというヴィジョンには魅力がないこともない。 “困った時の北海道”と“疲れた時の沖縄”を禁じ手にしつつ未来の ヴィジョンを描くこと、“今ここ”を起点にした思考を止めないこと。
三郎に本当の意味でのベンチャー・キャピタルがアプローチしてきて、 チコロトイが21世紀にも大きな成功を収めて存続している、という 夢物語のような「パラレル・ワールド」をも信じる用意がないのなら、 “今ここ”から未来のヴィジョンを思い描くことも出来ないのだろう。 世界は悪意によって前進を阻まれているわけではない。そこが厄介だ。 善意は沢山の人を殺し、平和は多くの場合、相互誤解の上に成り立つ。
「そこをなんとか」と神にチャランケを挑みたくなるのも無理はない。
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