「静かな大地」を遠く離れて
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2002年02月28日(木) 音を視る人

題:253話 栄える遠別13
画:釘
話:今でもうちの馬は酔った旦那様を乗せて遠別から帰ってきますから

題:254話 栄える遠別14
画:金槌
話:馬と一緒に働いて、馬と一緒に寝たと

如月も終わり。北半球の温帯の春は、もうすぐそこ。北海道ではまだ先だけど。
雪がみたいなぁ。去年の暮れに盛岡と花巻で見たのと、トウキョウで粉雪が少し
降ったのを見たくらい。不満。つまるところ札幌に行けてないのが物足りない。
北海道が本格的に春を迎えるのは、実際のところゴールデンウィークのころだ。
それまでの間に馬の国・日高も含めて北海道を訪れたいものだ、と思いつつ…。

相変わらず夜にこの日録を書くとき、グールドのゴールトベルクと並んでよく
聴いている長根あきさんのCD『モノラー』について、田原プロデューサーが
日記で触れていらした『CDジャーナル』誌2002年3月号掲載の湯浅学さんに
よるレビューがなかなか興味深いので下に引用します。

 飛び跳ねる雨滴のようでもあり樹々のこすれ合う様や風の響きを描き出して
 いるようにも思えるムックリ(口琴)の音には耳にやさしいひずみがある。
 それがとても愛らしい。演奏者の肉体の共鳴がそこに現れているからだろう。
 モリンホールやホーミー、パーカッションの助演もムックリとの共振がテーマ
 になっているようで抑制の効いた好演である。自然音や風景を音で模すのでは
 なく、自らが木や草や大気に溶け合う試みの記録のようでもある。作為的な
 メロディなどここには必要ない。この淡い色彩にひたればよい。無理に自然を
 賛美するような歌とは正反対の大地と向き合い時に対決することも厭わない覚
 悟さえ感じられる。糸が引かれる音のアタック感が刺激的でたゆたう倍音が頭
 の中を飛びまわる快感を強化する。3種の口琴によるアンサンブルは電子音楽
 にも似ている。心の奥をノックされているようでもあり耳をくすぐられている
 ようでもある好盤。

そうそう、「電子音楽にも似ている」というのは思い当たる。音とはつまり振動
であり、フーリエ解析とか何だかわからないけどそういう世界で(<笑)原初的
なムックリの響きと、これまた「原初的」だった僕らが聴いて育った“電子音楽”
の振動感覚は意外と意外でもなく、似ている。『モノラー』を聴いていて、僕が
連想したのは、坂本龍一の1978年の最初のCD『千のナイフ』だったのだし。
両者に通じるのは、脳のある部分をツボ押しされるようなビョンビョン音の連打。

なぜ気持ちいいのかわからない、気持ちいいことに意味があるかないかなんて、
もはやどうでもいい、という一種の頽廃。これは、普通に音楽を聞いて心地よい
という状態とは意識としては違う。音楽という「制度」というか、スタイルの枠
を取っ払ったところにある、響き、振動としての音そのものと身体とが共鳴する、
そこではそれを能動的に「音楽鑑賞」しているはずの主体たる私が、その玉座を
みじめに追われ、ひたすら“音”の支配下で、なすがままの状態になっている。

どうもムックリに限らず、倍音系の作品群には、一見“なごみ系”なルックスで
近づく癖に、そういうラディカルなところがあるような気がする。油断ならない。
だいたい倍音アーティストの急先鋒タルバガンの二人はもともと理系の研究者だ。
思えば最近は『非戦』な坂本龍一@世界のサカモト氏が、ある時、大橋巨泉風に
営業テレビ出演目的「来日」したときに『SMAP×SMAP』に出演して、自前の
口琴を持ち込んでトークの最中にビョンビョンしていたぞ、ってなこともあった。
うーむ、倍音系は、あなどれない、そしておもしろい。誰かなんか書いて(笑)
一番解きたい謎というか、実態を知りたいネタは「江戸でムックリ大流行」ね♪

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