「静かな大地」を遠く離れて
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2002年02月04日(月) 運命のアジマァ

題:231話 函館から来た娘21
画:クレヨン
話:生きるも死ぬも、あなた様しだいです

昨日ここを読んでご心配下さった方たち、よぉく読んでみて下さい、もう一度。
この週末はむしろ奇跡的に思えるくらい、いいことづくめだったのでした(^^)
雨も雪も死も、生の震えを抑えきれない心象のスケッチであることに注意。

何か悲しいことがあるとしたら、この世に生まれてきたことくらいのものかな。
生誕の災厄を上回る苦痛はありません。その受苦と恍惚。…春と修羅、やね。
昨夜の心象スケッチ、自分で読むとしみじみと暖かい幸福感に包まれるのです。

だって…冷たい雨の日の夜に、鴨鍋をつつきながら土佐の酔鯨飲むんだよっ♪
そりゃあもう吹雪の中を歩き疲れて凍えた時に、ふと松岡修造の笑顔のポスター
に出会うくらいに、とても心暖まる取り合わせです(<おわかりかしら? 笑)
「生きてるって楽しいね。楽しいサァ!」(by古波蔵恵里)といったところ。

なんかね、酔鯨にこだわったのは、2000年末のジョン万次郎から坂本龍馬
ラインの思い入れの延長で訪れた高知の心象。もちろんその秋のボストン旅行
を通じて世界帝国アメリカともモービィ・ディックとも沖縄とも通底している。
その高知と下北沢のつながり方もまた、僕にとっては特別なものだったのです。

函館の三味線マスター弥生ねえさんと、静内のカリスマ牧場主の弟志郎くんの
運命の交差点(アジマァ)、なかなか劇的で素敵です。噴火湾を渡る逃避航路。
恵山と駒ヶ岳、有珠山に樽前山、立派な火山が揃い踏みで旅路を見守ったはず。
この周辺だけではなく十勝岳や雌阿寒岳など、静かな大地は火山で出来ている。

由良さんより少し年上の宮澤賢治は、見事な稜線美を持つ火山、岩手山を望む
盛岡から中学の修学旅行で北海道を訪れた。それが17歳の頃。十年後、彼は
最愛の妹を喪った傷心を抱えて樺太を訪れる往復で、再び北海道の地を踏んだ。
それが「オホーツク挽歌」や「噴火湾(ノクターン)」を生んだ旅だった。
http://www.shugakusha.co.jp/kokugo/meisaku/kenji/year.htm

ウェブ日記というスタイル、昔BBS推奨派だった頃には考えられないことに
とても気に入っています。一見リンクしていない「人生」がシンクロしてる妙。
保坂和志の『残響』とか『季節の記憶』みたいな感じで、些細な日常と形而上
の宇宙が当たり前に同居しながら、他人同士もまた時間軸の上を併走している。

運命をやり過ごしつつ、ゆんたくを続けていく強靱かつユルユルな心象の堆積。


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