「静かな大地」を遠く離れて
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題:211話 函館から来た娘1 画:大黒人形 話:志郎さんも実はなかなかの傑物であったような気がするのだ
題:212話 函館から来た娘2 画:将棋の駒 話:母と父の出会いの話は聞いたことがないわ、と由良は言った
三郎でも志郎でもなく、稲垣吾郎氏の話。 最近では珍しく2週つづけて「SMAP×SMAP」のオンエアーを家で見た。 気づいたら週に一時間もTVを見ないことが多い中で、なんとか努力して スイッチを入れることにしているが、一つの番組をはじめから終わりまで 見ることなどは皆無だ。大抵はイヤフォンをさしたまま、音は聞かない。 でも吾郎ちゃん復帰生放送は見た。現役タレントの中で屈指に好きなので。 歌手でも役者でもなくタレントとしての稲垣吾郎氏のキャラが好きなのだ。 彼個人のキャラというよりSMAPにおけるポジションの問題かもしれない。
SMAPは、今のご時世からは考えられないことに90年代初頭のアイドル タレント不遇の時代、地道にバラエティをやりながら各自のキャラクター を育てて、稀代の男前・木村拓哉氏をピンで突出→失速させないで集団で より高く遠くへ飛ぶという偉業に成功したグループである。
その社会的成果としては「男の子リブ」の総仕上げをしたというところか。 80年代あたりまではまだ、“正当派二枚目”像みたいなのが基にあって そこに例えば“しょうゆ顔”とかいう“モード”が導入されることが新鮮 なマーケティングだったりした。SMAPは、それぞれがそれぞれでいい。 それぞれがそれぞれなのがいい。これがある意味“キムタク”を護った。 そしてバラエティ的ノリ至上の世界で“吾郎ちゃん”の生息を許容する。 97〜98年頃、間違いなく一週間で一番幸福なのは、ビストロスマップ を見ている時間だった。SMAPの存在の形は不思議な安心感をくれたのだ。
ひさしぶりの「夜空ノムコウ」は、切なくも心強くてとても暖かかった。
個人的に、沖縄と北海道と歳月の積み重なりの記憶に結びついている曲。 あのころの深い夜の底のような気分は今だって“僕の心の一番奥”にある。 ここで北海道の記憶に触れる時、もしかしたら夢のように楽しい思い出を 語っているように受け取られるかもしれないが、実際はまるで逆なのだ。 過ごしてしまった季節の記憶が自分を苛んで出口のない夜のようだった。 しかしまた、そういう状態の身体と魂に射し込む、光と風の鮮烈なこと! そのころ熱心に読んだ星野道夫や須賀敦子の本にも拮抗しうる風光の威力。
で、ようやく「静かな大地」の話。 “お話大好き夫婦”の由良さんと長吉さん、昭和11年の編集会議はつづく。 手記の「実況中継」という形式は使い勝手はいいかもしれないけど仕掛けと して面白いとは言えないので、このままラストまで行かない展開を希望(^^; 由良さんにとっての「書くこと」の悦びと悩み、みたいなものも見えたいし。
須賀敦子、星野道夫に並べて置くことの許せるフィクションだけを読みたい。 誰かに本を贈りたくなるような、あるいは詠んで聞かせたくなるような作品。 ありあまるほど の「書くべきこと」から濾過されるようにして生まれた文章。 それを下流で待ち受けていて美味しい美味しいと舌鼓を打つように味わうこと をためらわせる、そんな粛然とした姿勢を自ずと強いるような書き手の姿勢。
最近久しぶりに『旅をする木』のビル・フラーのところを読む機会があった。 大いに笑えた(爆) 彼の決め台詞の“パーソナル・ディフィニション・オブ・サクセス”、 これより人生に効く呪文を他には知らない。
#おかしいなぁ、「サステイナブルな帝国」あるいは「再建シル・ヴ・プレ」 という題で幕末と今の、日本とフランスの関係の話をしようと思ったのに(^^; またの機会にしませう。
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