「静かな大地」を遠く離れて
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2001年12月08日(土) 北と南の「交渉」学

題:174話 フチの昔話24
画:ゼラニウム
話:小屋が燃えている。娘よ、おまえは逃げたか?

題:175話 フチの昔話25
画:アサガオ
話:わたしたちはどちらかが泣かなければならない定めだったのか

先日、“孝明天皇の秘儀”の話題の時、佐々木譲さんの『武揚伝』を
引き合いに出しましたが、そのへんは当然佐々木さんも自覚的で
いらして、“孝明天皇毒殺説”を採られている。物騒な話ではある。

『武揚伝』と孝明天皇の事が、どういう位相で関係してくるのか、
最近新たに、ご自身のHPで明快な文章をお書きになっています。
http://www.d1.dion.ne.jp/~daddy_jo/newpage16.htm
「武揚伝ノート1」の加筆部分「榎本武揚の魅力はどこにあるのか」
さらにリンク先に「武揚伝ノート5」として、
「孝明天皇の毒殺は、すでに医学的に決着済みの事実である」も。
『武揚伝』読者のみなさま、是非ともご参照あれ(^^)

書店で平積み中のドナルド・キーン『明治天皇』は、目次を見ると
孝明天皇の代から詳述しているみたいで、“毒殺説”に関しての
「注」を見るとアーネスト・サトウが“噂”として書いているもの
が残っているのが、記録として残っているとの由。
このへんの歴史、日本近代の立ち上がり期に関しての共通認識の無さ
たるや、これでええんかいな、というくらい寂しいものがある。
キーン氏の大著に関しては、世間の評判を待っているところだけど(^^;

さて、つづいても先日の話題に関して。

西東始さんから義経伝説話と宮本常一話に反応をいただきました(^^)
http://www.obihiro.ac.jp/~engliths/index.html
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件名:宮本常一

宮本常一『忘れられた日本人』については、江別(100年記
念塔ですね)に修学旅行生を引率した高校教師、村井紀さ
ん(今は『南島イデオロギーの発生』ですっかり有名人)
が、この「忘れられた日本人」は「和人」ばかりだ云々と
いう批判をどこかでしていましたが、出所を失念しまし
た。

義経神社と義経悪人伝説との「交渉」の話を授業でやりま
したが、学生さんは「ハァ?」だったようです。今どきの
フツーの学生さんが歴史や文化の複数性や葛藤を身近に感
じるとしたら、それは何なのか。もう一度プレゼンの方法
をじっくり考えなければダメだなあと思っています。

ただ、私の勤務校は、「内地」から北海道にあこがれてや
ってくる学生が多いので、これはほとんど「異文化体験」
ではあるようです。ここからなんとか「交渉」までもって
いきたいのですが、憧れの地北海道のイメージを私がガン
ガンやるものだから、反発する学生も多いです(し、興味
を示す学生も多いですね)。

ところで、中村和恵さんの『キミハドコニイルノ』(彩流
社、1998年)はご存知ですか?(北海道マニアには必読書
だと思うので、なんだか最近誰にでも宣伝してます。「ヤ
ラレタ」という感じですね。)

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後日、西東さんより注釈メール、上記の村井紀氏の発言部分に
関して、「和人ばかりだ」云々は“早とちり、完全な勘違い”で、
村井氏の原発言とは異なるとのこと。
『北海道新聞』(11/19, 2000)「村井紀が読む」と題するエッセイ
を探して再読された上で、その要約を書き送って下さいました(^^)
それをさらにG−Whoが一言で乱暴にまとめるなら、村井氏は
宮本常一の本に登場する人々の“並び”のあまりの「無垢さ」加減、
すなわち戦場や「満蒙開拓」など「外地」へ出かけた人々の体験が
“捨象”されている(と読める)ことに強い違和感を持っている。
ふむ、なるほど。“らしい”視点であるし、重要な指摘です。

この村井先生の本は未読の方は必読!…と言いたいところですが、
面白い本だけど取っつきにくいところもあるので、以下を参照して
興味が持てそうな方は読んでみて下さい。考えたい人向き。

■村井紀『南島イデオロギーの発生 柳田国男と植民地主義』(大田出版)
(まず帯惹句より引用)
 「南島」とはなにか?それは「山人」を消去し、同質的な「日本−日本人」
 を見出すために政治的に作為された場所である。そこにおいて新国学として
 の日本民俗学は成立した。しかし、なぜ「山人」は消去されねばならなかっ
 たのか。ここには農政学・植民地政策学者として「韓国併合」に深く関わっ
 た柳田国男のスキャンダルが隠されている。

(つぎに、章立て)
 1南島イデオロギーの発生
 2コメ難民の死
 3「遠野物語」の発生
 4「孤児」・「アイヌ」・「滅亡」・「常民」
 5折口信夫と柳田国男−沖縄への眼差し
 6折口信夫の戦争−「死者の書」の条件
 7柳田国男の台湾/台湾の柳田国男
 8「満蒙開拓」の“ふるさと”−「日本民俗学」とファシズム 

(あとがきより引用)
 日本の近代化は蝦夷地(北海道)の植民地化から始まり、琉球(沖縄)、
 台湾、韓国、満州を植民地化し、支配してきた過程である。これらの地域を
 日本が欧米に範をとり、また対抗し、植民地支配に乗り出し、そして、失敗
 した過程である(もっとも「失敗」は、このうち二つを除いて、というべき
 かもしれない)。この経緯のなかで一人の農政官僚が植民地政策−直接には
 「日韓併合」に関して−との関与を通し、柳田国男自身言っているように
 その「政策研究」のために興したものが、「日本民俗学」であり、なおその
 破綻を隠蔽するために見出された地域がその“約束の土地”「南島」沖縄で
 ある、というのがここで述べた私の考えである。
(引用、おわり)

近代史を語る際に、いきなりこの本ではなく、ある前段階の素地を作るため
の良書として、他人にオススメできるのは何だろう?? なかなか無い。
つまるところ、日本人が日本近代史を相対化して「物語」化できないでいる、
その困難が原因ではあるまいか。それは取りも直さず、自分たちの座標軸も
現在位置もマトモにつかめていない、ということなわけである。
やり直した方がいい、どうやら。
時代が変われば歴史も敏感に変わるべきだろうから。
せめてそれが出来れば、なぜ“こんなこと”になっているのか、
もし滅びるなら、何故どのような経緯で滅びるのか納得できるだろうから。

そういえば荒俣宏御大が『帝都物語』の続編に手を付けらているようだ。
あれはあれで日本近代をめぐる一つの大きな物語たりえている希有な仕事だ。
新世紀の御代、地霊が怪人アラマタにどんな物語を降ろすのか?
刮目して待つべし。

#「ボストン、火星人、能登半島」は、もう少しお待ち下さい(^^;
 あ、西東さんオススメの中村和恵さんの本、未読です。これも宿題。


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