「静かな大地」を遠く離れて
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2001年11月14日(水) |
ゆんたく@世界の終わり |
題:151話 フチの昔話1 画:エゾヤマザクラ 話:どれも、アイヌがどういう人たちかがよくわかるような話なの
由良さんも時制の転換に悩んでますな(笑) 挿話としてアイヌ民話が入るというのは「静かな大地」に不可欠なイベントでしょう。 『真昼のプリニウス』でも『マシアス・ギリの失脚』でも、挿話は重要な要素だった。 凡庸な訓話めいたものではなく“野生の物語”としての民話の力。 昨夜の朗読の話ではないが、物語は古来ずっと“語りもの”として流通してきたのだ。 いまネット上で膨大な言の葉が「声」から切り離されて散乱しているけれど、 物語は肉声を伴って口伝されてこそ、生命を持つものなのかもしれない。 マイク・レズニック『キリンヤガ』(ハヤカワ文庫SF)なんかを例に挙げて僕が 時々言うとおり、昔の民話が活きていた共同体そのままには絶対住みたくないけど(^^; 「タブー」も「非合理」も、それに伴う煩わしさも、まっぴらご免ですわ(笑)
なので炉の火を囲む大家族みたいなのも想像着かない。 最近文庫落ちしたので久しぶりに読んでいる辻仁成『五女夏音』(中公文庫)は、 あのカッコイイ孤高のロッカー辻ジンセイ氏が、南果歩さんと結婚していた時代に 書いた珍しいユーモア小説。抵抗しながらも夏音とその家族のペースに巻き込まれる 主人公に同情しつつ、独身者の悪夢のような大家族の描写が可笑しい。 どっちかというと南果歩さんの長年のファンなので、そのへんが面白いのですが♪ ちなみに辻仁成さんでは『ニュートンの林檎』(集英社文庫)が大好き。 函館の老人・佐伯林蔵というキャラクターが書く長大な小説が作中に出てくるのだが これが北方マジック・リアリズム系らしき作品なのだ(文面は描かれないけど。) 他の作品はともかく『ニュートンの林檎』だけは声を大にして面白かったーっ!と 言える読み物です。北海道リンクでもあります(^^) あと『白仏』(集英社文庫)は、創作動機において「静かな大地」的でもありますし。 新刊の『太陽待ち』(文藝春秋)には大いに期待しているのですが、未読であります。
そうでなくて大家族の話。 「ちゅらさん」の脚本家の岡田恵和さんがインタビューで言ってらしたけど、 あのドラマを書いたからと言って、実際に大家族礼賛主義とかいうわけじゃない。 ドラマそのものも切通理作さん風に言えば「トウキョウで“ゆんたく”は可能か?」 というのがテーマだったと思う。もうカゾクは自明の枠組みとしては存在しない。 でも、それゆえにこそ、“プレイ”として(疑似)家族を演じること、それぞれ 自分勝手な「個」が“ゆんたく”を続けていくこと。ほとんど保坂和志さんの小説 のように、どうでもいいことにこだわりながら、際限ない日常を、子育てしながら 生きること。「ちゅらさん」の真髄は、美しい海と島とオキナワ情緒ではなく、 むしろ一風館の「ゆんたく空間」にこそ在った。それを観ていた人たちは、よく わかっているだろう。だからテロの余波で「ちゅらさん効果」が水泡に帰しても それそのものは残念なことだが、心配するには及ばない。 「ちゅらさん」はボディー・ブローのように効いて来る。そう信じたい。 大家族の話、ってよりポスト核家族時代の「個」と「ゆんたく空間」論になったな。 ふむ。
僕自身は静かな場所が大好きだ。いくらでも一人でいられる。 良い歳をして中学生男子みたいにツルんでいる背広白髪集団が緊張感のない会話を しながらだらしなく通路を塞いでいるいたりするのを見ると冷静に殺意を抱くほどだ。 「個性」なんて「差異」にコダワリさえなくなるくらいに「個」であることの経験値、 それをしっかり持っている人を僕は信頼する。 新刊『ツインズ twins 続・世界の終わりという名の雑貨店』(小学館)が出たての 嶽本野ばら氏なんかも、そうした美意識の持ち主ではないかと推察する。 「世界の終わりという名の雑貨店」の雪の描写を読んでいて、古井由吉さんの「沓子」 なんて思い出したりして。城ノ内真理亜さんなら、この感じわかってくれるだろうか(^^)
『ミシン』が書店に平積みになりはじめたころは、どちらかといえば僕には関係ないか あるいは反感を持っていたかもしれない。造本に匂い立つ自意識が強烈だったので、 実際の作者がブサイクな女性でも、やたら顔のキレイな女の人でも何かイヤだなぁ、と 思っていた。割と最近になって、野ばらさんが「キレイな男性」だと聞いて得心(^^; あらためて出ていた『カフェー小品集』を手に取ると、なかなか素敵な感性と品性の 持ち主ではないか、年齢も自分と一緒だし、案外近いところを見ているかもしれない、 などと思うようになった。彼のことを教えてくれた貴女、どうもありがとう♪
…あれ?今日は、「痛恨のフロリダ」という題で、ゴアがブッシュに勝っていたはず だった大統領選挙の話から、堀武昭『反面教師アメリカ』(新潮選書)の話に展開して http://www.ywad.com/books/452.html 新刊の『異文化はおもしろい』(講談社メチエ)の御大の寄稿「異文化に向かう姿勢」 へと至るつもりだったのだけど。ま、オキナワには行き着けたのでいいか(^^;
でもね、なんかセカイが暴力や不正や難儀なことに満ちているのは昔からのことで、 そういう下部構造のすべてを横目で知りつつ(<?)嶽本野ばら氏のような美意識の 世界と真剣に対峙する、というのはなかなかに真摯な闘いであったりもする、という のも突き抜けていて嫌いじゃないのです。深い諦念から逆撃する精神のエレガンスを 鍛えよう、みたいなところ。異文化は都市にも/にこそある。形骸化も速いけど、ね。 さ、『ツインズ twins』をいつ読めるかな(^^;
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