「静かな大地」を遠く離れて
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2001年11月02日(金) |
チャランケ&ゆんたく |
題:140話 鹿の道 人の道20 画:分銅 話:天から役目なしに降ろされたものは一つもない
明治20年の頃には三郎君は元気に開拓に勤しんでいたわけですね。 彼の命はいつまで永らえたのか、そしてどんな死にざまだったのか、 盟友オシアンクルは開拓事業にどのように関わっていたのか、 まだまだこれから語られるべきことはたくさんある。
それにしても、われながら昨夜書いた過去二日分を再読してあきれる。 文章の体をなしてないし論旨も理解不能、半ば眠りながら自動筆記状態(^^; “脳内ひとりチャランケ”なんて書いたけど、やはり最初に表明したとおり “ゆんたく”こそ、この日録でやろうとしていることなのでお許しいただきたい。 結構長く続けていると、同じネタがスパイラルしてきて味わい深かったりもする。 そもそもが新聞連載をフォローするという難儀な習慣を、自分が持続するための 過剰な副産物だと思って、もの好きな方はお付き合いいただけると楽しいかも。
まだ「静かな大地」のラストを予想したりするには時期尚早だけど、今回も そんな話ができるまで、ユルユルと“ゆんたく”し続けられるといいなぁ、と。 ま、ラストは間違いなく火星テラ・フォーミングの話になると思いますけど(爆) 『すば新』の時のネタですな。懐かしい。それくらい荒唐無稽にやって欲しい。 せっかく「新世紀へようこそ」でジャーナルな足場を持たれたのだからこそ、 なおさらフィクションのほうは『マシアス・ギリ』より更に跳ねて欲しいです。 『すば新』の時にはあった「なにゆえ新聞連載か」という部分は今回ない以上、 単純に小説の可能性の中心に期待して読み続けるわけですから、読者としては。
さて、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論2』(幻冬舎)も 読みたいので、今夜はこれで失敬。辻仁成『太陽待ち』(文藝春秋)なんて 一体いつ読めるんだろう?来週も読書時間は睡眠時間との兼ね合いだろうし(^^; まぁいいけどね。月末には平日に休んで甲府へ行って愛宕山を散歩するのだ、 そして12月にはキャラメルの「ブリザード・ミュージック」をGreen&Redの 両方のキャストで二回観るのだ、と嘯きつつ、こうして年は暮れてゆく…。 8年前の暮れは、よく静内の街を歩いていたなぁ、などと思いながら。
ってなことで、久しぶりに、ご意見ご感想ご希望、疑問、苦情、叱責のメール、 お待ちしています…なんて言ってみておこうかな♪
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