「静かな大地」を遠く離れて
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2001年10月16日(火) 手記を書く女

題:123話 鹿の道 人の道3
画:牛乳のフタ
話:あの方はもう山を跨いで行かれた

なんだかフェルメールの絵の題名みたいですな、「手記を書く女」。
御大の『真昼のプリニウス』(中公文庫)にも江戸時代の浅間山噴火を
体験した女性の手記が出てきます。圧倒的な事象に遭遇した人の言葉。
「自然」なるもの、普段は古来のアミニスティックな片思いを受け入れ
優しい貌を見せてくれている「外部」、それがひとたび大規模な天災の
際には荒々しいエッジを剥き出しにする。それをも擬人化した神の意志
の顕現と見るのか、もはやそのようなものを超越した度し難いエッジと
対峙するしかないのか、ギリギリの一線。世界認識への意志と心意気。

僕は今だって頼子さんが好きだ♪
豪雨の中をゴアテックスに身を包んで歩く彼女のイメージにイカれた。
ギリギリのところで「自然」とのエッジと対峙しようとする意志、姿。
たった一人で腐海を飛び回り、その謎を解こうとするナウシカみたい。
ずいぶん前に自分のことを「門田(モンデン)君みたいだ」と言って
「どうしてそんな風に言うの?」と窘められたことがある(^^;
かといって壮吾さんもアナクロなカッコつけ野郎にしか見えないという
女性読者による評判も聞いたのでまた違う芸風を模索している(?笑)

文学の言葉とサイエンスの言葉、それは本来同じもののはずだった。
また宮澤賢治の名前を出すまでもなく。もっと言えば経済と科学と文学
は密接不可分。高山宏『奇想天外・英文学講義』(講談社選書メチエ)
や巽孝之『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書)を参照。
上記は過去の経緯を知るために有用な本。では科学の現在と私たちの
世界認識との間を架橋してくれる仕事はないものか?
80年代には日野啓三さんの仕事なんかを頼りにしていたのだけれど。
港千尋『自然 まだ見ぬ記憶へ』(NTT出版)が、やや近い感覚かも。
あと寮美千子さんという小説家の今後の仕事に、とても期待している。

由良さんには自分の身体で感じる北海道の風の中に三郎伯父の面影を
しっかり見出して欲しいものだ。決して先に類型的な予断を持たずに。
ものを書く、とは能う限りそういう姿勢で臨むべき行為だと思うから。
結論よりも過程、そして世界に向かって、すっと立つ姿勢が大事です。
…と登場人物にあれこれと語りかける読者(笑)

私信ひとりごと:西東始先生へ
きっと公開講座のレジュメはHPにアップされるんですよね?(^^)
「ガーディアン」のサイード文の試訳と論旨の箇条書きだけでも是非!
そのうち講談社選書メチエあたりで「中島敦とスティーブンソン」系
の本を書いて下さることを、勝手に大いに期待していますね〜♪


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