「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月15日(土) |
時には敵、時には味方 |
題:93話 札幌官園農業現術生徒3 画:握り鋏 話:静内、門別、鵡川、沼ノ端、千歳、輪厚、…三郎の道中
明治十年一月七日という日付。西南戦争という動乱の年の初春。 ついに彼、物語のキーパーソンの「肉声」を聞くことができた。 仮初めのユートピアを創らんとすることになるのだろうか、 この 三郎という男、眩しい若さが危うさと隣り合わせの印象。 どういうわけか、早くも胸に動悸を感じる。 物語のある定型ともいうべき「挫折する幻想のユートピア」。 そこにどこまで説得力、魅力を込められるのかが、作家の力。
静内、門別、鵡川、沼ノ端、ウトナイ、支笏、千歳、輪厚…、 例によってすべて僕には馴染みの地名、どこにも何度も足を 運んだことがある。道中の風景も目に浮かぶ。距離感もわかる。 三郎の天地、三郎のユートピアの地図。 青年は未来と大儀に生きることができる、と信じられた時代が あったし、国によっては、あるいは人によっては、今だって それは可能だろう。そしてなかなかに快感でもあるのだろう。
テロルの魅力、というものは在る。 組織的暴力の快感、というものも在る。 僕がそれを好むかどうか、求めるかどうかという問題ではなく いわばヒトを対象とした動物行動学みたいな乾いた目でみるとき 「自然現象」として観察しうる、という意味で“存在する”のだ、 どうやら。そこに複雑な歴史的経緯、人種、民族、宗教に纏わる メンタリティーが絡んで、形而下の「事情」が許すなら、発動は 自然のなりゆきというものだ。
だから対処のしようがない、ということを意味するわけではない。
“千の千年王国”の集合体のような国家が「敵」を欲するのは、 その成り立ちからして自然なことだろう。 まったく別の意味での「第二のパールハーバー」という説さえ、 あながち栗本師の暴論とは思えない、背景的「根拠」がある。 彼らに反発したり揶揄したりするのではなく「友人」として助言 できるとしたら何だろうか?…そう考えを進めるべきだろう。
「認知地図」というものがある。 日本の多くの人の、他国に対する心理的な親和度と実際の距離とを 掛け合わせた地図を作製したとしたら、太平洋は池みたいに狭い。 バグダードやエルサレムよりもマンハッタンの方が認知地図上の 距離が圧倒的に近いからこそ、人々は驚愕し震撼し悲嘆に暮れる。 僕にはマンハッタンもカブールも本質的な違いはない、と思う。
湾岸戦争の最中に欧州へ観光旅行へ行ってもイイじゃん♪という ような人間である。同世代のアメリカ兵が戦地にいるというのに 不謹慎だ、というようなことを言うヤツがいたけど、そいつは どうかな、と思った。すなわち、良く言われるように第二次大戦 以後、戦火が止んだことは片時たりともないのだし、たまたま 日本と安全保障条約を結んでいる友好国アメリカと西側の多くの 国が参戦する戦争が起こって、メディアを通じて「目に見える」 からといって、突然“非常時”だと大騒ぎするほうが外れている。
僕にそう言った女性(<だった)には、具体的な米兵の友人が いたのかもしれない。多分いなかったと思うが。いたとしても 彼は“僕の友人”ではない。 “砂漠の嵐作戦”の進展はウィーンで見守っていた。 ザンクト・シュテファン大聖堂で、戦闘のことを考えていた。 きっと“卒業旅行を自粛”して国内旅行に変えた他の大学生より 真摯に世界を見つめていたつもりだ。 もっとも「軍事オタクなのでサウジまで行きました」みたいな人 も正直かつ突き抜けてて嫌いじゃないんだけどね(笑)
それはそうと、わが友の話。 米兵の友人はいなかったけど、アフガニスタン人の知人ならいた。 一度部屋を訪ねただけで名前も知らないので「知人」でもないか。 1990年頃のトウキョウは、御大の『バビロンに行きて歌え』 ではないが、外国人労働者の姿が散見される都市だった。 バングラディッシュ人、パキスタン人、イラン人が多かったか。
当時、社会学のゼミで外国人労働者について社会調査をしようと いう話になって、その一環で板橋あたりにフィールドワークに 出かけたのだ。外国人と接触する、といっても手がかりもない。 上板橋の駅前で“張り込み”をして見つけた外国人を“尾行”し、 住居を突き止めて“踏み込み”、という酷くワイルドな方法で 僕たちは彼らの部屋に入った。
話を聞いてみると、彼らはアフガニスタン人だという。 ソ連を退けた国の男たち…、ステレオタイプは役にも立たない。 何を話したのか、もはやあまり記憶にもないが、部屋にはビデオ もあったりして、不法入国者の出稼ぎ者がタコ部屋のような狭い ところに密集して本国に送金するための肉体労働に従事している、 という風ではなかったのは覚えている。
「日本の若い人たちに会えてうれしい」と言ってアーモンドを 食べるように、と勧められた。会話の手段は英語だった。 “ジャパニーズ・ヤング・ピーパル”と彼らは発音した。 アーモンドは“アルモンド”という感じだった。 彼らの顔は朧気にすら覚えていない。 が、その発音だけは妙に耳の底に残っている。
時事ネタ雀たちは、慌ててアフガニスタンのお勉強を始めている。 「タリバン政権」「ラディン氏」「カイバル峠」「バーミアン」。 フォトジャーナリストの長倉洋海氏が追っていたマスードが謀殺 されたらしい。大英帝国とソ連を撃退した誇りを持つ戦士の国。
湾岸危機の時に時事用語として流行った「リンケージ問題」は、 今回まったく問題にされないようだ。そのくせ米国はイラクを 叩こうとしているとも報じられる。イスラエルにシャロン政権が 出来てアラブ諸国との対立が深刻化したことが、今回の事件の 大前提となる背景ではないのか?…とは野次馬の素人目な疑問。
10年前、上板橋で会った男たちは、今どうしているだろうか。
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