「静かな大地」を遠く離れて
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2001年07月17日(火) ディープフォレストにつつまれて

題:35話 最初の夏5
画:栃の実
話:熊についての話を聞く少年たち

※日録タイトルだけ、変更しました(^^;

さぁ、来ました、矢でも鉄砲でも持ってこい!ってな感じです(謎)
いやね、ヒグマと聞けば過剰反応する、長い長い経緯があるのです。
でも、それは語れない、
御大が『旅をした人 星野道夫の生と死』(Switch)一冊分の原稿を
書いても、語っても、なお想いが尽きなかったように…。

なおヒグマとヒトの関わりについては、
S・ヘレロ『ベア・アタックス』(北海道大学図書刊行会)
熊谷達也『ウェンカムイの爪』(集英社文庫)
それに『知床のほ乳類』という本があります。
難しいです、野生動物との関わり方の問題は…。

北海道へいらっしゃる方は、ぜひ登別温泉のクマ牧場を見て下さい。
あれが、我々とヒグマとの“エッジ”です。
ミチオの写真を見て、美しいアラスカに飛ぶのも良いでしょう。
でも「北の大地の大自然」なんてフレーズに騙されないで下さい。
そんなものは、もう過去に消費してしまいました、私たちが。
なんか『もののけ姫』の宮崎駿氏みたいに苦渋に満ちてくるね、
この話題は、やっぱり(^^;

僕はヒグマを駆逐するしかなかった「静かな大地」を遠く離れて
まったく違うアプローチからヒトの文明と自然に迫りたいと思っています。
昨秋の北米ニューイングランドの旅は、その思索の楽しいエクササイズ。
今夏はまた、それとリンクしつつ、まったく異なる線を辿ります(^^)
その準備や予習もしなきゃいけない、時間もないので今夜はここまで。
週末から来週にかけて、公私ともに気が抜けない時期なので、
体力をうまくペース配分して切り抜けたいのです。

今夜は僕にとっての“幸福のトラウマ”の時代かもしれない、
北海道時代、1999年の春の文章を再録して、全速力で逃げます(笑)
長いからねぇ、この調子でアップしててサーバー的には大丈夫なんだっけ?
まぁ、いいや。では、G−Whoマニアの皆さま、お楽しみ下さい♪

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 「ディープ・フォレストにつつまれて」

・・・一歩ごとに足を捕られてなかなか斜面を登ることが出来ない。
カンジキをつけた足が、弛みかけた春の雪に半ば埋まりながらどうにか
身体を前に運んでいる。
街歩きには慣れていて、脚にはそこそこ自信を持っているつもりだったが、
歩くスキーからカンジキに履き替えての斜面は、なかなかに良い運動を
課してくれる。天気が穏やかで寒くないのが救い。

4月なかば過ぎの日曜日、僕はようやく春めいてきた北海道・支笏湖の
近くの山の中にいた。

ヒグマの研究者の方を中心にした一行は僕を含めて7人、H大学のA先生
の娘さんも一緒なので、山歩きとしてはビギナー向けのペースで進んでいる。
ポチとコジローという2匹の柴犬も一緒だ。
連中はまさに「犬は喜び庭かけまわる」という状態で、とても元気だ。
きょうの目的は、ヒグマの冬眠穴の調査。
もちろんクマはすでに冬眠から覚めて、穴から出たことは確認済みだ。

クマザサや木の枝に引っ掛かかりながら、尾根を上へ上へと登る。
晴れ渡った支笏湖が見える。周囲に広がる森はまだ葉をつけていない。
ヒグマの棲める森は、昔に比べるとほとんどないに等しいのだそうだ。
10代のころからもう60年もこのあたりの山を歩いている老ハンターの
Aさんは森の変貌を嘆きつつ僕らを案内してくれている。
昔はヒグマを撃っていたが、数が減ってしまって狩猟をやめてから
もうしばらく経つという。

ヒグマの穴を見に行く機会に恵まれるなんて・・・。
ほとんどホシノミチオの本の中のアラスカのようだ。
都会でミチオの写真を見て、いきなりアラスカ行きを考えたり、その勇気が
なくて躊躇したりしている人たちに、自慢してやりたい!
・・・そんな子供っぽい邪心も手伝って、両足は快調に身体を山の上へと
運び続ける。他のことは何も考えなくてもいい、身体を動かす快感。

・・・その前の日、僕は函館にいた。
翌日の山歩きのために、函館の駅前の魚市場の中に入っている靴屋で雪用の
長靴を買って、その袋を手にもったまま道立函館美術館を訪れた。
全国を巡回している「星野道夫展」を観るためだ。
急に決まった雪山行きに相応しい靴を持っていなかったため、
函館で買うハメになった。ヒグマの冬眠穴を見に行くための長靴を手に持って
ミチオの写真展に行くなんて、ちょっと出来過ぎか?

北海道は函館、旭川、札幌、釧路と、人口が少ない割に4会場も写真展が
巡回する。自然写真の愛好家が多いとか、ミチオが生前北海道のことが好き
だったとか、いろいろ考えてみても説得力のある理由が見つからない。
そんなにやるなら、冬の然別湖の氷のミュージアムもやってくれれば
よかったのに・・・。去年、一昨年と訪れた真冬の然別湖を思い出す。
大きな氷のイグルー、湖の氷の上にもある写真パネル、氷のバー。
あんなにミチオの写真を視るのに最適な場所は、他には考えられない。
そのへんは、以前にここ(「そこにはエンヤが〜」)に書いたとおり。

自宅のある室蘭からは、函館まで電車で2時間足らずで行ける。
道立函館美術館だけに、東京の友人たちから聞いた銀座松屋の喧騒とはまるで
違う静謐な空間。靴の音が響くくらい。
然別湖の氷のミュージアム2回を別にすれば、展覧会でミチオの写真を見るのは
初めて。地元のほとんど先入観のないオバちゃんが一枚一枚の写真ごとに素直な
感歎の声をあげているのはよかった。
然別湖氷のミュージアムに比べると、写真パネルの大きさも、その数もずっと
あるのに、静かできれいな美術館でみる写真は、なんとなく全国のデパートを
回ってきた臭いがするような気がする。
そういうと何だが、ミチオが子供のころから憧れていたという北海道の景色を眺め
ていた、行き帰りの「特急北斗」の車窓の方が、ミチオを近くに感じさせてくれた。
妙なものだ。

僕は北海道に住んで6年になる。
その記憶の降り積もった量だけは、いかに軽薄な日々を送っていても、否定しがたく
積み重なっている。
ちょうど毎年浴びてきた雪片が幻ではないように。

でも展示の順路の最後の直筆原稿には、してやられたナ・・・。
普通、小説家なんかの生原稿って有り難くもない、と思って見るのだけれど、
ミチオとなると・・・泣いてしまった(笑)
そしてそれと並んでガラスケースの中にかしこまっているミチオのスノーブーツ。
ヒグマの穴を見に行くための長靴を持ってきた自分が妙に可笑しくて泣き笑いした。
変な客だ。

ま、その気になれば北海道は、旭川、札幌、釧路とグランドスラムも可能だ。
ミチオが愛した北海道、現在もヒグマが棲む北海道の春から初夏を見て回るのもいい。
帰りの列車でケイト・シュガックのシリーズ最新刊『燃えつきた森』を途中まで読んだ。
ちょうどケイトがフェアバンクスに着いたところまで。

ギリシアから帰って半月、その週末はアラスカ寄りのモードになった。

ここは瀬戸内海のぬくぬくした地方都市で育って、東京でバブル期に大学時代を過ごした
人間の身体蓄積データを「地球の平均値」に近づけるのには、結構いい場所かもしれない。
日本国内に限っていえば、沖縄と張り合えるだろう。
札幌には東京そっくりの商業テナントビルが沢山あって、特殊な趣味、
たとえば能楽鑑賞とか、大相撲の生観戦とか、鎌倉散策にこだわらない限りは、
東京的ライフスタイルを満喫することができる。
日本のありふれた都会の一面をもつ街だ。

でもやはり北海道。毎年山菜採りへ出かけて薮に迷い込んで行方不明になる人、
通学路に出没して撃たれるヒグマや、凍った湖でイグルーを造って楽しむ人たちが、
季節のニュースとして流れる環境は、ずっと自然に近い。

地球上のさまざまな場所は、すべてそれぞれに個性があって、
気候風土、資源、植生、人口密度、などいろいろな指標で偏差を計ることはできても
どこか、「地球上の平均値」などという場所はない。
宇宙人に地球を紹介するための写真として、どこの風景を見せるか?と問われて、
ベナレスでもシュトラスブールでもユジノサハリンスクでもあるいはダーウィンでも、
どこか一ヶ所の写真だけでは公平を欠くだろう。
とりあえず「ナショナル・ジオグラフィック」のバックナンバーをまとめて渡すという
のはいいかもしれない。(最近はDVD版も出ているらしいので持ち運びも便利かも。)

世界にはいろんな場所があって、風土があって、人の暮らしがある。
それを知ることは、物事を考えるうえで大事なことだし、結構楽しい。
気分としては北海道は、トウキョウとフェアバンクスの「間」にある。
(那覇に住めばトウキョウとバリ島ウブド村の間にいる気分になれる?)
まあそういう発想は「平均値」っぽいものを前提としすぎているのだろう。
サッポロはサッポロ、ナハはナハ・・・。それはそうだ。
フェアバンクスごっこの色眼鏡を通して北海道を眺めるのも遊びとしては楽しいが、
たまにはフィールドへ出かけよう。ここにしかいない固有種の動物や植物、
そしてもちろんヒトもいっぱいいる。

そんな気分もありつつ、いま仕事で苫小牧の北大演習林に入っている。
今までに経験のない仕事を前にして、さっさと現地に入ればいいものを、
いつもの悪い癖でブッキッシュな逃避癖を発揮して、ここ最近
森や樹に関係する本を読んでばかりいた。

*真保裕一『朽ちた樹々の枝の下で』(講談社文庫)
*猪瀬直樹『日本国の研究』(文春文庫)
*田中淳夫『伐って燃やせば「森は守れる」』(洋泉社)
*石城謙吉『森はよみがえる〜都市林創造の試み〜』(講談社現代新書)
*井上民二『生命の宝庫・熱帯雨林』(NHKライブラリー)
*ディナ・スタベノウ『燃えつきた森』(ハヤカワ文庫HM)
*池澤夏樹『タマリンドの木』(文春文庫)
*エイミー・トムスン『緑の少女(下)』(ハヤカワ文庫SF)

本を読みながら、耳からは超絶ヴォイス・サンプリング・リミックス芸の
ディープ・フォレストのアルバムCD3枚を、取っかえ引っかえ聴いてた。
ヒトの近くの森、ヒトの近づけない森。世界中に広がる森。
地球の生命が陸上に上がってからの記憶を集積し、昆虫と花と果実と
サルを内包している森。『風の谷のナウシカ』劇画版の元ネタ(?)
とも言われる山田正紀『宝石泥棒』(ハルキ文庫)に描かれた、
魑魅魍魎が跳梁跋扈(すんなり変換できるナ 笑)している神話的な
森の世界。

ヒトは森から出てきたサルの一派らしい。それでも森を必要としている。

・・暖かな日差しが消え残った雪を溶かし、クマザサの下生えが露出する春の
北海道の山。乾いたクマザサを格好の休憩用シートにして昼食を摂る。
同行の柴犬のポチとコジローがエサをねだるように右往左往している。
クマザサに寝転んで空を見上げる、なんてベタなことをついやってしまう。

腹ごしらえを済ませて、いよいよクマの穴に近づく。
もちろん研究者の方が下見にも来て確認しているので危険はないはず。
ところが、あと30mのところまで来て二頭の柴犬の様子が変わった。
さっきまではしゃいで走り回っていたのに、ポチが急に前に進まなくなる。
前足を雪に踏ん張って、主人が引っ張っても動かない。

急に不安になる。クマが戻ってきているのではないか?
Wさんが、クマに着けてある発信機からの電波を確認するためアンテナを向けるが、
やはり反応はない。大丈夫。犬はクマの残り香に反応したらしい。
不安がる犬たちを連れて、僕たちはそこに近づいた。

倒木の根っこの下をほぼ垂直に掘り込んだような場所に穴はあった。
数日前までそこで雄のヒグマが冬を越していた場所。その確実な痕跡は、
北海道に野生のヒグマが生きていることをはじめて実感させてくれた。
ものめずらしい野次馬の僕は、中の大きさの計測などが終わったあと
穴に潜らせてもらった。
入り口は狭くなっているが、すぐに横に広い空間がひろがっている。
しゃがんだ姿勢なら大人が二人入れるくらい。

一人で穴の中で、じっとしてみる。
秋にドングリをたらふく食べたあと、ここを掘って中に潜り込んで冬を越す。
穴の上を雪が被って、また雪が少なくなるまで待つ。
そうしていくつもの季節を過ごす。
なんだ、ヒトと同じじゃないか。
南国のヒトと北のヒトよりも、
ここのヒグマとの方が近い気分を共有できるかもしれない。
進化史上もクマはヒトの「隣人」らしいし。

・・・ヤア、ヤット春ガ来タネ!今年モ美味シイ山菜ガ食ベラレルヨ。


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