「静かな大地」を遠く離れて
DiaryINDEX|past|will
2001年07月14日(土) |
我が小泉ブーム、熊本、耳 |
題:32話 最初の夏2 画:南瓜の種 話:“コンプ返し”しようとする少年たち
結構いつもどうにか3行でやめようとしているのですが、 そして今も実際「今日は書くことないなぁ」とか思いつつ、 書き出すと歯止めがかからないのが危険なところ(^^; 休暇の準備、予習も今のうちからしなくてはならないし、 『静かな大地』絡みのお勉強のネタも尽きまじ、状態。 でもね、PCに向かっているよりも、ゆっくり入浴するとか ストレッチでもやるとか(<そんな習慣はないけど)、 たまには音楽を聴いてみるとか、休日の正しい過ごし方は いくらもあるのだが…。
しばらく長期スパンの静かなマイ・ブームになっているのが ラフカディオ・ハーン、すなわち小泉八雲@『怪談』である。 ま、本日のタイトルのネタって、これ↑なんですけど(笑) スミマセン、くだらなくて…。 いやね、僕は政治学科出身だし、元田中角栄氏の秘書だった 早坂茂三氏の本を愛読してたり、だいたいが栗本慎一郎氏の 支持者=師事者なので、永田町ネタは好きなんですけどね、 以前総裁選で栗本師が純一郎氏を担いで負けたこともあって 最近はあまりにも興味なくして久しいのです。
猪瀬直樹氏の『日本国の研究』なんかも面白く読んだので、 特殊法人にメスを入れてマトモな世の中にするべきだとは 思いますけれどね、「Jr.愛の関係」ってドラマが好きだった 単なる馬鹿な好事家というスタンスで政治が好きなんですね、 小室直樹御大の本を中学生の頃から読んでた、みたいな(^^; 電脳突破党・宮崎学氏に言わせれば、小泉政権の構造改革が 今叫ばれるのは、手を付けようがなかったバブル期の不良債権 を今こそ処理しようという腹、その心は往事に責任を持つべき 当事者たちの特別背任罪の時効が成立する時期だからだそうな。 コワイ、コワイ、悪党がいっぱいいそうですな。 『金融腐食列島・呪縛』どころではありませんです。 以上は余談。
で、明治の日本を見たラフカディオ・ハーンの話。 過去2年の間にギリシア、アイルランド、アメリカへ出かけた 身としては、ギリシアで生まれアイルランドで育ちアメリカで 文筆家となったハーンは長らくの「お題」だったのです。 大好きな俳優の佐野史郎氏が松江出身でかつ“ああいう”趣味 の方なので、ハーンにはかなり入れ込んでらしたのも一因かも。 とにかく自分の思考にハーンが絡んで来そうで、でも切り口が 見えなくて、妙に手探りの状態が続いていました。 「100冊」に何故か阿刀田高『怪談』(幻冬舎文庫)が入って いるのも、広くはいろいろな形でリンクしてくると思ったから。 これは八雲の「怪談」のサマリーとかではありません。
阿刀田氏は『ギリシャ神話を知っていますか』をはじめとした 西洋の古典を、サラリと読みやすく面白いエッセイにまとめる お仕事をされていてなかなか便利でもあるのですが、これは 一寸違います。結構分厚いフィクションになっていて、ノリで 言えば殺人事件とかは起こらないけど、文学ネタのトラベル・ ミステリーみたいな作風。主人公に着いていくと上手にハーン の伝記と主要な作品の要約を知ることが出来る、学習参考書的 なスグレものでもあります。でも体裁はラブ・ストーリーね。 実際に熊本や松江やマルティニークまで取材していると思われ なかなかお買い得な面白い本になっているのです。 チラと何故か北海道まで絡んでくるのがミソ。 (ほら、斉藤先生もチェックしてみましょう<以上、私信 笑)
ほかに軽く読めて伝記的な全体像を知ることができる本としては 工藤美代子氏『ラフカディオ・ハーン 漂白の魂』(NHK出版) がオススメです。ETVの「人間大学」テキストの出版化なので、 安くて軽い本なのが便利。 ただこのあたりの本だけだと、ギリシア、アイルランド、それに 南島マルティニークやニューオーリンズを経て日本へ至るハーン の特異な関心の持ち方を掘り下げるという感じではありません。
そこで西成彦さんの名前が出てきます。 実はこの方『森のゲリラ宮澤賢治』や『クレオール事始』という 一見派手に見える本を連打されていて、妙にケレン味のある学者 さんかと思って、どちらかというと敬遠していました。 ところが先日7月7日に紹介した『子どもがみつけた本』で、 長いあいだ熊本にいらしてハーンに関しても地道な良いお仕事を してこられて、今は京都にいらっしゃることを再認識しました。 この本は以前から所有していたのですが、西さんの他の仕事の イメージと合わないと勝手に思いこんで結びつかなかったのです。 で、最近また書店でご著書を物色していたのですが、さらに先日、 斉藤先生の英文学の方のサイトで『ラフカディオ・ハーンの耳』 という岩波から出ている主著が同時代ライブラリーに入っている ことを知り、あわてて買いに走ったという経緯であります。
まだ読み始めたところなのですが、つらつらと見るにこれ実に 面白い本です。「世界文学」の文脈の中にハーンを置くことで その仕事のグローバルな意味が初めて見えてくる興奮があります。 学問ギョウカイ的価値は全然違うとこにあるのかもしれませんし 僕が見当違いな興味の持ち方をしているのかもしれませんが。 「異国」での視覚体験と聴覚体験。明治日本の地方の街の音を 追体験すること。これはなかなか刺激的なエクササイズかも。 「好事家のヘンなガイジン」ではない小泉八雲が見えてきます。
サウンドスケープって、旅をすると意識化される部分ですよね、 その場所の音風景。耳って慣れやすいから、普段自分が住んでる 日常の音はどんどん意識から捨象されていってしまうけど、 旅先なんかだと現地の人にはきっと何でもない音を耳が拾うと いう現象が起こります。オーディオ・ドラマなんかを聴くと いろいろ効果音が凝っていたりして、上手く出来てるものは 視覚以上に場所への想像力を喚起したりします。 カフェの喧噪で、周囲の人々のお喋りも“サウンド”として しか認知することが出来ない状態もエトランゼにはオツなもの。
さて今度の旅先では、どんな音を耳にすることになるだろう?(^^)
|