「静かな大地」を遠く離れて
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題:23話 煙の匂い23 画:匙 話:東京は好きではなかった
昨日のこの頁はなかなかに面白かったのではないかと思ったり(^^) おホメのメールを頂戴したりして、とてもうれしゅうございました。
さて、鼻歌気分で遠足にでも行くように「棄民」されるお子たち、 東京はお嫌いのようです。 わざわざ東京の描写を入れたのに彼らがこうも嫌うのは、 ナチュラル志向のピースフルな子供たちだったせいだろうか?(^^; 都市が嫌いなのか、「日本の中心」が気にくわないのか? すなわち喧嘩と火事が華の江戸の街なら興奮して目を見開いたのか、 薩長の武張った連中が我が物顔で仕切りまくる東京がイヤなのか?
なんていうのも今日の叙述、オキナワへ行ってからの御大の物言い がダイレクトに反映されていて、『すば新』ならともかく、いまだ 物語の風呂敷も拡げる前にこういう描写は損なのではないかという 気がしたからだ。これが「結論」なのだと見えたら、物語の過程を 丹念に辿るという難儀な至福を誰も期待しなくなってしまうだろう。
父の世代の子供時代のプチ・ユートピア的な天地が静内で描かれて それが「中央」を背負ったイケナイ大人によって脅かされたりする ような凡庸な図式を透かし見て読んでしまう恐れがある。 そういう議論で住むなら大きな枠組みの「小説」という実験装置は まったくもって必要でないはずだ。 豊饒な物語にしか創れない世界、その広がり、深みに惑溺したい、 それが王様たる読者のご所望である(笑) きっと由良が父の語りを聴いている、という構造が、単なる転がし なのか、もっと本質的な要請から来たるものなのかによって そのへんの成否が分かれるはずだ。
さて、昨日のハレー彗星の話。 関川夏央・谷口ジロー『坊ちゃんの時代第4部 明治流晴雨』(双葉社) が正にハレー彗星が訪れる明治末を描いた傑作劇画です。 大逆事件に揺れる帝都東京、由良さんの同時代のトウキョウの空気が ビビッドにわかるシリーズ。 以前は『月刊東京人』をよく買っていたくらいに都市論好きだったので、 明治大正戦前の名残りを探して歩いたりしたものだ。 「東京都たてもの園」に行ったこともあるというマニアである(^^;
たしかに95年以後のトウキョウは、日本全体とともに精彩を欠く 都市だと僕も思う。特別この街にいなければ享受できないことも 思いつかない。たとえば能狂言のフリークだとか、そういう場所限定 の趣味でもないかぎり、コストの方が高くつく街なのは確かだと思う。 僕などは、無意識に払っているコストを取り戻すためでもあるまいが、 無理してでも演劇を観たりしている節もある。映画館には行かない。
うーんと、あとはねぇ、星の数ほど人がいるってことは、輝く星の ような素敵な人もいるってことで、そういう人たちとの接近遭遇も 大きな魅力ではある。しかしネット時代の昨今、会うとなれば 地方都市でも外国でも会いたい人に出かけてゆくことができるので ホームグラウンドが首都である必要もなかったりもするのですが。 というわけでトウキョウの真ん中のエアポケットのような生息範囲 を小さな自転車でウロウロしながら暮らしています。 #今日の言葉 「いやなら帰れ」(by城ノ内真理亜)
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